貴方に思われる理由が欲しかった。

 

誰にも疑われず、貴方に愛される理由。

 

 

 

どんなに滑稽に映ったとしても。

 

私はそれが欲しかった。

 

 

 

 

暖かい家庭。

迎えてくれる家族。

冗談の言える関係。

 

 

 

どれほど願っても、手に入れる事の出来なかったそれを。

 

 

望んだことが罪になると言うのなら。

 

 

 

この世はきっと、罪に溢れている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■ 遠くの山は美しかった ■

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

現場の様子は一言でいうなら混乱であった。

二次災害の恐れを十二分に主張する山肌には、

重機の導入さえ検討されるようなそんな状態。

 

近くの駅までの緊急列車の運行により、ロイ・ホークアイ・ハボックの3人は現場に駆けつけた。

車中、どうしてこんな事件にエドワード・エルリックが巻き込まれているのかをホークアイに問い詰められるが、ロイは一言もその口を開かなかった。

ただ、窓から一本の線のように流れていく景色を、

重く黒い雲が再び天上を覆う様を、より黒い瞳で睨んでいた。

 

ハボックは小さくため息を吐いて、そうしてポツリと「准将婦人の警護に」とだけ言った。

状況分析に優れたホークアイにとって、その言葉は現状を把握するには乏しい情報ではあったが、

それでも土砂崩れに巻き込まれたという彼女が、どんな気持ちでそこにいるのかと言うことだけは、

痛いほどに理解できて、いつもは崩さない端正な顔をぎゅっと痛みで歪ませた。

 

道中交わした言葉はたったそれだけだった。

 

三人ともが分かっていた。

今するべき事は、少しでも早く現場に着き、

その状況を見極め、そして、救助をすること。

 

どうか無事にと願うは同じ事。

ここで醜く言い争っても現状打破には至らない。

 

それぞれが祈るように少女の無事を思い。

それぞれが自分の行いを後悔していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「マスタング准将!!!!」

 

 

現場に一番近い駅から軍用車に揺られ山肌付近の災害本部に着いた。

もともとここは東方司令部の管轄ではない。

よって、将軍職と言えども口を出すのは憚られる状態であった。

それでも巻き込まれた被害者の中に、

准将婦人と後見人を務める国家錬金術師が含まれているのなら、話は違う。

 

加えて、この都市と都市の狭間にあるようなカルト山脈は、

丁度互いの管轄の切れ目に相当していた。

険しい山であることから、それ程大規模な軍事政略にも巻き込まれず、

小さな駐屯部隊を保持するだけの村境であった。

 

それだけに勢力争いだの指揮権はどちらだのという無駄な争いを回避できた事は、

急を要するロイ達にとって、有益なことであった。

 

現在、もっとも事件に関わりがあり、そして地位の高い指揮官となれば、

言わずもマスタング准将であることは皆が理解していた。

 

 

軍用車が荒い排気ガスを撒き散らし、

急ブレーキと共に蒼や黒の軍服を纏ったものが行き来する場所に止まる。

 

車内から出てきた男の肩の階級証。

そしてその容姿の特徴によって、その男が「マスタング准将」であると分かったもの達は、

一様に敬礼のポーズを取った。

ロイは、その様子を手を挙げることによって、止めさせ、

各々の業務に戻る事を声なく指示する。

 

 

「マスタング准将!!!」

 

軍服のあちこちに泥を着けた若者がこちらに走ってきた。

その顔に見覚えはなくとも、焦っている様子だけは手に取るよりも明らかだ。

 

「先頭車両付近が今だ土に覆われております。

 二次災害の危険から、重機の使用が出来ず、救助作業に影響が・・・・」

 

はぁはぁと息を切らしてそう報告をする軍人は、

今しがたまで、現場で働いていたのだろう。

ぐぃと顔に付いた泥を払うと、言い難そうに声を詰まらせる。

 

「・・・・個室は全て先頭付近です。

 奥方さまの安否は確認されておりません・・・」

 

 

 

 

「准将・・・・」

「奥様がそこにいらしたということは」

 

准将婦人の警護をしていたエドワードも、

先頭付近にいると考えてまず間違いないだろう。

 

ホークアイとハボックは、そろってカルト山脈を仰ぎ見た。

半分近くが砂山のように零れ落ち、そこに突き刺さっているかのような銀色の車体。

そこに。

 

 

誰もが息を呑んだその瞬間に、

ロイが列車に向けて歩を進めた。

 

慌てたのは回りにいた者たちだ。

 

何も話さず、ただ進んでいく彼の様子に、

軍人たちは慌てた。

 

「おっお待ちください、マスタング准将!!!」

「危険ですっ!」

 

その声にホークアイとハボックも我を取り戻し、

先を目指すロイの前に立った。

 

「指揮官自らが現場に行かれるのは困ります」

「二次災害だって・・・どうなるか分からないんスよ?!」

 

行く足を止めるために、

両腕を広げて行く手を阻むのはホークアイ。

腕を引き、その場に止めようとしたのは、ハボックだった。

 

 

 

 

「・・・・お前たちは、何もしないで、ここで待っていろと言いたいのか?」

 

 

その低く囁かれた言葉に、ひっと息を吐いたのは、

傍に居た軍人だった。

若くしてここまで上り詰めた男の声は、

どんなに小さかったとしても、聞きなれない物に計り知れない恐怖を与えた。

 

ホークアイとハボックは、

一応の耐性があったとは言え、正面から怒気にも似た感情をぶつけられ、

声に出さずとも少し怯む。

 

 

ここで何もしないで待っているなんて、

出来そうもないのはホークアイ、ハボックにしても同じことだ。

 

けれど、どんなに気が急いたとしても、

計画も安全も確保しないままで、行動したところで、

望む結果など得られないと言う事を2人はその身に叩き込まれていた。

 

それはいつかの戦争時であったり、

危険な任務を任された時であったり。

 

 

今までの軍の経験は、警笛を鳴らし続けている。

 

 

今しなければ成らないのは安全の確保だ。

茶色に汚れた水が治まる事無く泥から溢れている。

この地盤では、いつまた土砂が流れてくるか分からない。

 

 

そうなれば、救助に当たっている者達の命すら危険に晒されるのだ。

 

それの回避を一番に望み、その危険すら最も分かっているはずの上官が、

我先に飛び出そうとしているこの状況で、

彼を止めるのは、自分たちの仕事だとホークアイはそう思った。

 

 

「今行って、貴方がすべき事は・・・・あるのですか」

 

 

ホークアイがゴクリと唾を飲み込んだ後に、

鳶色の瞳で黒色の瞳を睨むようにしてそう告げた。

ここで、この台詞を言うことができるのは、

長年部下として、また背中を預けられる副官として彼の命を見てきたものだからだろう。

 

 

 

 

 

「・・・・・私とて国家錬金術師だ。

 重機が入れずとも、私がいれば問題ない!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ホークアイ・ハボックはすぐに周りの者たちを避難させた。

 

泥に塗れて突破口を作ろうと必死だった者たちを退かせ、

土砂から逃れた列車内の負傷者に手を貸した。

医療班にも一事撤退を通告する。

 

 

どんな練成反応が起こるか分からない。

多くの物質を動かすことにより、どこに弊害が起こるか。

 

事態は急を要すると共に、僅かな狂いさえも許されない。

 

 

 

 

ロイは、現場に足を踏み入れ、

土砂の様子を探る。

 

 

水分量、土質、列車の状態。

報告にあった乗客の人数とその割合。

地質学と合わせて、どの位置あたりに列車が入り込んでいるのか。

 

 

頭上ではズルズルという地面の音が響き、

今にも落石落盤が起こるかも知れないという状況で。

ロイは、頭の中で練成陣を組み立てていく。

 

それは途方も無い集中力を必要とした。

 

 

 

 

どれくらいの時間だったろう。

4、5分・・・・いや、実際にはそれより短い時間だったろう。

 

 

顎の下に手を当てて、黙り込んだ上司を、

祈るような気持ちで見ている事しかできない二人は、

その時間がとてつもなく長く感じられた。

 

ロイの錬金術の腕を信じていないわけではない。

焔の練成しか常に見てはいないと言っても、

それが如何に難しい練成なのかを以前エドワードから聞いていた。

 

しかし、それが容易なモノではないと分かるが故に不安は消えない。

 

 

あるのは命だ。

 

 

 

彼の最良によって、人の命は左右される。

 

 

すでに事件発生から時間は経っており、

一刻を争う状態だなどと言われなくとも皆が分かっていた。

乗客の安否が脳裏にちらつく。

 

 

 

 

 

 

 

「・・・・・行くぞ。ホークアイ中尉、ハボック少尉・・・離れていたまえ」

 

 

 

ざっと風が吹いた。

ロイは手帳を取り出し、雑に一枚引き破ると、

練成陣を描いた。

 

何をどう解釈して、その練成陣を描くのか。

 

ハボックにはもちろん、ホークアイにもそれは理解の範疇を超えたものであった。

 

それを唯一理解できたであろう人物は、今だ列車内部にいると思われる彼女だけであろう。

 

 

 

 

ロイが紙を山肌から零れ落ちてきた土砂の上に置き、

その上にそっと手を添える。

 

 

 

 

瞬間に青い練成光りがバチバチと稲妻のように広がり、

一瞬の眩しさにハボックは目を閉じた。

 

「おぉっ!!!!」という歓声が響いたのはほぼそれと同じタイミングであり、

届いた光りが大きかったハボックは声につられて目を開ける。

 

 

 

 

「っ・・・すげぇ」

 

 

いつだったか上司の親友が、彼の事を「万国人間ビックリショー」などと揶揄していたことがあったが、

まさにその通りだと、ハボックは口を開けたまま思った。

 

山肌がズズッと音を立てて、

もと合った場所に引き上げて行くかのようだ。

まるで生き物が蠢いているかのうよで、ビデオの撒き戻しを見ているようにも思われた。

 

 

練成の一部始終を見ていたホークアイは、

息を呑むようにして、「あれは・・・トンネルも一緒に練成なさったのですか?」と聞く。

 

「すごいっスよっ!!!あれで取り合えず列車が潰れるのを防ぐわけっスね!!!」と言ったのは、

興奮冷めやらぬハボックだった。

 

 

土砂があらかた取り除かれた場所に、

見えるはずだった列車の様子はなかった。

代わりに見えたのは、黒い大きなトンネル状の鉱物。

すっぽりと列車を覆うような形だ。

 

 

 

「いや・・・・私は土砂を取り除く練成しか行っていない。

 考えてもみろ、土砂に埋まった状態でトンネルを作成したところで、

 列車はあのような状態で発見される訳がない・・・・」

 

 

ハボックの感嘆の声に反して、ロイはそのように言った。

声が少しばかり震えているのは、ホークアイと同じ事を考えたからだろう。

 

 

「では、あの練成はっ!!!」

 

 

列車を守るようにして覆われた鉱物は、

土砂崩れの寸前に施されたと考えるのが自然であった。

つまりは、土砂に巻き込まれる寸前で、そのような練成ができる人物がいたということだ。

 

 

その人物とは。

 

 

 

 

 

「鋼のっ!!!」

ロイエド子