「大佐・・・大佐っ」
執務室のソファーにちょこんと腰掛けた鎧(表現がおかしいようだが、
やはりちょこんと座っているようにみえるのだからしかたない)がこちらに声をかけた。
その横には、鎧の姉たる少女が先ほど渡した文献に集中している。
彼女の集中力は凄まじく、
余程の事がない限り意識をこちらに向けることはなかった。
もっともその声が届く鎧の弟は最新の注意を払って、こちらに声をかけている。
「うん?」
手元の書類にサインをしながら、手招きしている鎧を見た。
どうやら外にでようと合図しているようだ。
自分の姉が取られるみたいで、すこし寂しいですと言ったのは、
「付き合う事になった」と彼女が照れながら報告した時だった。
「姉さんが幸せなら」と了承してくれた彼に、実際自分は殴られる覚悟までしていた。
今でも少しだけ拗ねたりしてみせるその姿は、
鎧であるのに年相応で、彼女の弟なのだと再確認させるには十分な姿だった。
金属が擦れる音をなるべく立てまいとしながら、
弟、アルフォンスは頑丈な扉を開き、少しだけ涼しさの増した廊下に出た。
騒ぎが起これば一瞬にして足音や怒号が響くその場所も、
平和な今はゆっくりと時が流れている。
大き目の窓からは中庭が見渡せ、ホークアイ中尉が連れてきているのだろうハヤテ号の姿が見える。
「で、何があるのだい?」
この礼儀正しい弟が、目上の者である自分を呼び出すなど余程のことだろう。
姉、エドワードに知られたくないことでもあるのだろうか。
いつも姉弟は一緒にいるため、弟と2人で話したことなど数えるほど少なかった。
エドが文献に集中している今を狙ったのはそういう訳なのだろう。
「大佐にお願い・・・っというか、いい事を教えようと思いまして♪」
楽しそうに鎧の声が反射して響く。
効果音が聞こえるなら、ルンルンランランと軽快な音である。
「いい事・・・かい」
「えぇ、とてもいい事だと思いますよ。姉さんのことですから」
おっそれはと、耳を口に(口と言っても鎧のそれで、そこから音が発せられているかは定かではないが、
それでもそこに耳を寄せた)寄せて話を注意深く聞いた。
アルフォンスは再び楽しそうにクスクス笑って、
「デートに誘うなら今日ですよ。」と言った。
「デート?」
「はい。デートです」
どんなに間抜けな顔をしてしまっただろう。
まさか恋人の弟から、デートに誘うようにと促されるとは思わなかった。
まして、あまり歓迎されていないのではと思っていた相手から。
「しっしかし、昨日誘った時に残念ながら断られてしまっていてね」
はははっと乾いた笑いと共に、自慢の黒髪をくしゃりとなで上げた。
なんで自分はこんなところで自分の失敗談を恋人の弟に(以下省略)。
「昨日は駄目でも、今日ならいいんですよ。
あっ場所は決まっていまして・・・・ここです☆」
あぁ、場所まで決まっているなんて。
この百戦錬磨と浮名を流したロイ・マスタング。
なんで自分は(再度以下省略)。
「了解した・・・」
そして翌日。
「おぉ、きれいだなぁ」
満天の星空を眺めながら、ゆっくりと腰を下ろす。
リクライニングシートは体全体を受け止めて、劇場のものよりも深く沈み込んだ。
きゃきゃと子どもたちの声と、それを「しっー」と言いながら嗜める親の声。
まぁるい天上の四隅には方位が書かれ、ざっと街の建物の絵が描かれている。
席が概ね埋まった時に、さっと入り口のカーテンが閉められ、
ゆっくりと明かりが絞られていく。
夕闇のオレンジと深い紫が西と書かれた空を染めて、
深まっていく濃い色に、点々と明かりが灯り始めた。
「さぁ、夜が始まりました。これは今日のイーストシティの星空です」
機械音のアナウンスが届き、ざわついていた会場が途端に聞き入った。
「おっ始まる」と小さく隣で呟いたその人も、
今では上を向いたまま、じっと天を模したその星空を見つめている。
昨日、アルフォンスが提示した場所は「プラネタリウム」
イーストシティの市内から少し外れた緑の残る公園の中にあるその場所。
本当に小さな施設で、
学校の社会見学や科学の時間に教材として見せたり、
隣接して建てられた幼児向け施設もあって、小さな子ども達が利用するくらいのそれ。
最初は70センズほどを徴収していたようだが、
子どもの学びの場として3年ほど前から中学生までが無料となり、
まぁそれなりに人が入っているらしい。
建て直しの際の書類にサインをした本人の言葉なので、
まぁそういう事だ。
場所も内容も一応は知っていたものの、
足を運んだ事は一度もなかった。
早い話が子供だましの施設で、星が見たいのならば夜空を見ればいいし、
星について知りたいのなら事典を調べればいい。
そんな風に考えていたものだから、
まさか彼女とのデートの場所として来るとは思ってもいなかった。
大切な彼女は、とても賢い人で、
およそそこいらの大人なんかよりも知識も経験も豊富である。
神話で彩られる星座の話なんて、
錬金術師であるエドには詰まらないだろうと思ったし、
信じていないにしろ、知識だけはきっと持っている。
なのに、なぜ、ここに。
『姉さん、プラネタリウムって好きなんですよ。
ふふふっ明日から星座の解説が変わるし、お話も新しくなるらしいんで、
明日はきっとプラネタリウムに出かけるはずですから』
お茶も映画もショッピングも断ったエドが、頷いたのはプラネタリウムの誘いのみだった。
弟はどこまで彼女のことを理解しているのだろうと少しだけ嫉妬に似た気持ちが浮かび、
この聡いと思っていた彼女が、
なんだか年相応に喜ぶ姿がとても可愛らしいと思った。
「どうだった?面白かったな!」
再び白んだ天上から目線を戻したエドは、
にこやかにこちらに向き直った。
がやがやとリクライニングシートを戻した親子連れは、
カーテンが開かれた扉を通って外に出て行く。
「大佐?・・・つまんなかった?」
心配そうに聞くエドの髪に触れて、少しだけ頬を緩める。
「思った以上だったよ。きれいな星空だった」
その感想に嘘はなかった。
天球に繰り広げられる星のショーは美しかった。
こんな広さがあるのかと錯覚さえ起こさせるほどに。
途方もない何万光年という光のスピードの話や、
今月の神話の話。
星になった蛇使いや北斗七星から北極星を探す方法。
まるで原っぱに寝転びながら、母親に囁かれるようにして、
ただ純粋にその星を追う。
知っている知らないではないお話を、
何度もせがんで聞かせてもらっているような、そんなくすぐったさ。
少しだけ、エドワードがここが好きなわけが分かった。
ここは子どもに戻れる場所だ。
知識を求める以外に、
この少女にはこの場所が必要なのだ。
ただ純粋に、母親の声に喜びドキドキしたその記憶。
守られていた原っぱの真ん中で、
満天の星を眺める。
それは、現実に星を見上げて得られるものではなく、
事典を繰っても載ってはいない。
「帰りにアイスを買ってあげよう」
「なっ///子ども扱いすんじゃねぇぇ!!」
手を引いてあげる。
頭を撫でてあげる。
この世の怖さなんて知らなくていい愛し子よ。
神話の残酷さに目を閉じて、甘いお菓子をあげましょう。
明日になったら進まなければならないのだから、
今は、ゆっくりと。