【寄り道】 「思考的問題 9」


 

 

 


「駅長!乗客名簿を!!」


「はっはい・・・ここに」


気弱そうな駅長が手渡したのは、黒い革張りの手帳サイズの書類。
所々に付箋が貼られており、長年継ぎ足しては使っているのだろう、
随分と年季が入っているようだ。
痛んだページの後に、真新しいページが続く。
その最後のページを食い入るように見つめながら、見知った名を探す。

(・・・偽名を使っているのか)


妻は本気で自分から姿を隠し、気づかせまいとしているようだ。


「駅長っ!小柄で金髪、金色の双眸をした女性は乗車していたかね」


「はっはい・・・申し訳ありませんが・・・全てを把握できておりません」



ビクリと肩を震わせ、深く被っていた帽子を取りながら、
頭をこれ以上下がらないという程までに下げてみせた。


「ならば事情を知っている者は?!
 乗客はホームに残っていないのかね」

 


駅長が知らないのならば、他者に聞くしかない。
そう思い、辺りをはじめて見回すが・・・人はまばらである。
吹き込む冷たい風に肩を丸めて歩く数人が見えるくらいだ。


「それが、列車が着いて随分時間が経っていますし、
 この天気です。宿を取ってそちらに行くものも多く・・・」

 


確かにこの寒さだ。
着いてすぐの自分たちでさえ、風の冷たさを実感している。
ここに長くいる方がどうにかなってしまうだろう。


(・・・エディも宿をとっているかも知れない)


旅なれている彼女の事だ。
この天気なら列車の運行を諦めて、早々と宿にいてもおかしくは無い。


「この付近の宿を教えてくれ」


バサリとコートを羽織りなおして、踵を返す。
振り向き様にふと目が合った一人の女性。
栗色の髪に柔らかな巻き毛をして、じっとこちらを見ている。

(何だ??)

「あの・・・金色の女の子を捜しているのですか?」

 

 

 

 

 

 

          【雪明かりが見ていた】 「思考的問題 10」

 

 



はぁはぁ。
自分の息がうるさい。
体は熱いが、手の先は凍るように冷たい。

列車から降りてきたあの人は、蒼い軍服だっただろうか。
いつものように黒いコートを羽織って。


革靴は足の先が冷えるんだと苦笑いをしていたから、
まふまふとした靴底を知られずにしのばせた。
まるで悪戯をした時のようにドキドキしながら彼が履くのを横で見て。
あれ?とばかりに目を開いた彼に思わず笑ってしまった。
彼は穏やかに笑って、そっと額にキスをしてくれた。


くすぐったくて、暖かくて・・・なんて幸せだっただろう。



「うわっ」


自分のブーツを目が追ってしまい、体はバランスを崩す。
手すりを探すが、手は空を切り、体は地面に投げ出される。


ドサッ
待った衝撃は、目を閉じた瞬間やって来たが、
激痛ではなく、ボスリとした感触を体に伝えた。

そういえば雪が降っていたと思い出す。
辺りはキラキラとした銀世界。
こんなにも明るい場所を走っていたのに、
自分は何も見えてはいなかったのだ。


こけたままに、ブーツを見る。
その靴底には自分が彼に入れたものと同じものが入っている。
まふまふとした。
こんなにすぐ近くに彼の欠片を見つける。
その度にズキリと胸が痛む。


「・・・戻れない・・・の?」

誰に伝えたいのか分からない。
自分へか、それとも追って来たのだろう彼へか。
あるいはその両方へ?


ズキズキ
再び鈍い痛みが胸ではなく腹からも起こる。
どうも体の方が敏感に状況への悲鳴を発しているらしい。


(はやく・・・行かなきゃ)

冷たい雪に手をついて、体を起こし、また彼との距離を広げなくては。
起き上がるために、グッと腕に力を込める。


「いったぁぁっ・・・」

その時だった。
今までよりも強い痛みは、腹から背骨を駆け上がり、
ゾクリと背中を冷やし、脳にまで達した。
力を入れた腕はガクガクと振るえ、尻餅をつくように、
再び雪の上に戻る。


「なっに?何??」


お腹はズキズキとするし、体の震えは止まらない。
加えてドロリとした感触が下肢に伝わった。
今まで全く感じた事がないそれらに、恐怖は重なるばかりだ。

肺を満たす洗練な冬の空気の中に、鉄の匂いを感じる。
ビクリと肩が振るえ、「そんな事はないと」無意識に頭を振った。
その匂いは、罪の匂いであったし、煩わしく感じた匂いであった。
それでも、自分の性を忘れるなと叱咤したものであった。


ズキズキ・・・ドロリ

「やっやだよ・・・?何・・・これ」


キラキラと輝く雪の夜に、全く不釣合いな色。
エドが恐る恐る伸ばした手に付着したのは、
真っ赤な血であった。
存在を主張するかのように痛んでいるのは体の中心。


子宮

それでも一月に一度訪れるそれとは違った痛み。


「ロイっ・・あぁっ!たすっぁ・・・たすけてぇ」


分からない。
どうしてこんな事になったのか。
分からない。
どうしていいのか。

分かった事は1つだけ。
こんな時に呼ぶ名前が、離れを決意したはずの彼の名前だということ。

 

 

 

 

 

         【真相と真実?】 「思考的問題 11」

 

 



「だから、彼女が貴方の妻だと分からないって言ってるでしょう?」


「それでも!!金色の髪の女性を見たのだろう?!」


目の前の男性・・・軍服を着て、肩には階級を示すのだろう金の飾り星。
先ほどの駅長の所作と横に控えている部下らしき男の様子からも
彼が随分と階級の高い男だと知れた。


確か・・・准将と言われていただろうか。
にも拘らず、そんな威厳など忘れてしまったかのようなこの焦りよう。
金の髪を持つ女性を知っているのかと詰め寄られた。
全く持って紳士のすることではない。


「女性と言うにはまだ未発達な・・・少女です。
 貴方の妻と言うには・・・」



先ほどまで青白い顔をして痛みと戦ってした少女が、
軍の准将の妻であるなどと誰が思えるだろうか。
むしろ若くもうけた娘であるかのようだ。
・・・男もとても若く見えてはいるが。


「・・・これが妻だ。見覚えは?」

渋々と言った様子ながら、男はコートの裏から手帳を取り出した。
黒い革で出来たその手帳は、見ただけでも高級なそれと分かるつくりをしている。
手元で一枚の写真を抜き取り、こちらに示す。

「これは・・・」


そこに写っていたのはまぎれも無く先ほどの少女。
そして横には目の前の男。

どこか違って見えるのは、
あまりに少女が幸せそうに笑っていて。
男は今と違い穏やかな表情をしているからだろうか。


「知っているんだね」


私の僅かな変化から、彼は私が妻を知っているのだと確信したようだ。


「貴方が、彼女の旦那さんなのね?」


「だから!さっきからそう言っている!!
 妻はどこにいるのだ?!」


もしかして。
最後に彼女に聞く間もなく彼女は走っていってしまった。
もしも、そのために彼女は彼から逃げているのだろうか。
しかし・・・それにしては、あまりに無計画すぎる。


「貴方は知って・・・いますか??」


「だから!」

「彼女の居場所ではなく。彼女の体の変化です」


「・・・どういう事だ?」

 


「彼女は・・・妊娠しているのではないですか?」

 

 

 

 

          

 

          【会いたい】 「思考的問題 12」

 



鳴り響いたのは、古ぼけたサイレンにも似た音。
その音に反応を示したのは、妻の行方を知っているだろう目の前の女性。


「カナン!!電話が入ってるよ!!」


寒々しい駅のホームが慌しくなる。
事務員らしい熟年の女性が、出窓を乱暴に開けて、こちらに来いと手を振る。
その声と、先ほどのサイレンに促されるかのように、
目の前の女性。カナンと呼ばれたその人は、急いで窓に近づいた。



「何があったのだ?!」

妻について口にされた言葉を未だ頭の中で消化できず、
しかも、その問いに答えられるであろう女性は、慌しく目の前を過ぎていった。
混乱している頭を押さえ、唯一の手がかりであろう彼女の後を追う。


「ええ、すぐに向かうわ」

カナンは受話器を投げるようにして、事務員に渡し、こちらに振り返る。
電話口での会話は聞こえる事は無かったけれど、
その慌しさは見ての通りだ。


「一体、何があったのだね!それに、エディのことを」

「一緒に来て!!」


こちらの言葉を奪うようにして、彼女は腕を引っ張った。
栗毛の髪がフワリと流れるが、
優雅な様子ではなく、その急な動きに螺旋を描く。


「話を聞けというに!!」

乱暴にその腕を払おうとしたが、どこからその細い腕にあるのかというような
力で強くコートを握られる。


「彼女が貴方の妻だと言うなら、ついてきて!!
 ・・・倒れていた所を医院に運ばれたそうよ。危険な状態だわ」


「・・・・?!」


彼女の言葉は意味を持っているのか。
先ほどからポンポンと投げられる言葉は、すべてに真実味がない。
いや、理解できない。追いつかない。


妻を知ってるのかどうかと問い詰めた。
金髪の少女を知っていると答えた。
写真を見れば、明らかに表情を変えた。
知っているのだと思った。

けれど。


次に告げられたのは妻が「妊娠」しているかも知れないと言うこと。
そして、次は?


「倒れた」?

誰が。

「危険な状態」?

誰が。


「准将!!しっかりしてください」

横から、長年の部下の声がする。
あぁ、ハボックか。
ドスリとおまけとばかりに腹を殴られた。


「大将が大変かも知れないんスよ!!」



聞きなれた愛称が現実に引き戻す。
ハボックが大将と呼ぶのは「エドワード」のこと。
そして、私の「妻」のことだ。
キリが晴れるようにして、現実との境界線が見える。
前を向いて、パンと両手で頬を叩くと、
目の前の女性を見る。


「行きましょう。急がなければ」


頷き、軍の革靴を鳴らす。
この靴が暖かいのは、妻がいるからだ。
自分の最愛の人は、エディだけなのだ。

 










ロイエド子 /