「・・・っ・・・・疲れている・・・・か」

 

 

 

 

 

【苦い珈琲甘い恋人】



 

午後のなり始め。

やっと南中に太陽が昇りあたりは煌々と光りに満たされるはずの時間である。

だというのに、今日は気温が上がらない。

 

枯葉はカラカラと音を立てて、さわりと肌を攫っていく風が通り抜けるばかりである。

 

 

 

手元には一杯の珈琲がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

執務室の机の上にあるのは、書類書類書類書類激励の手紙書類書類書類書類・・・以下同文で、

山々山一時雪崩という状態。

 

ため息を吐く段階などとっくに過ぎ去ってしまっており、書類を睨むようにして机に向かっているために頭の端がギンギンと痛み始めている。

動かし続けている腕は手首が麻痺しているようで、今この動きを止めようと頭から腕に信号を発したところで、瞬時に止まるのは難しく、余韻にも似た動きでニ、三枚ぐらいにはサインが書けるのではないかとさえ思う。

 

 

さっと目を通すだけで内容を理解し、そのサインとして自分の名前を書き続けていく。

積み上げられ時折雪崩を起こしてしまっている書類は、突如訳の分からない、脈略のない書類が混ざっていて、疲れを倍増させくれる。

 

どうしてこうも忙しいのか。

大型連休が重なったことで警備員の増加、悪質化する街の巡回・・・・そして、有給を使う馬鹿どもの群れ。

上司がこんなにもせっせかあくせく働いているというのに・・・。

 

イライラと無性に腹が立つ。

普段満足に働けない者、軍の何たるかすら分かっていないような者まで休みを取っているではないか。

こんな時こそ「お休みください」と可愛らしく旅行のチケットを差し出しながら言えば少しは可愛げもあるというのに。

 

 

イライラ・・・イライラ。

パラパラ・・・パラパラ。

 

 

 

ピクリ

 

 

 

「ハボック!!!!」

 

「はっはい!!」

 

 

書類の山で暫く顔の見えなかった部下の名前を叫ぶ。

手元には書類の山の中の一枚。

そう、たった一枚。

されど、一枚。

 

 

こんな忙しい時にこんな煩わしいことはない。

 

 

ビシリと敬礼をして姿を現したヒヨコ頭をこれでもかという程に睨みつける。

金色の髪すら今は忌々しい。長らく会っていないあの子を思い出させてくるではないか。

これはもう嫌がらせに決まっている。

 

 

 

「お前の目は節穴か・・・そうか、節穴なんだな・・・いっそ燃やせばよく見えるかも知れんぞ」

 

「たっ大佐・・・・」

 

「ははっこれだけ言っても分からんかね。いや、何とも情けない」

 

「俺の提出した・・・モノに・・・何やらミス・・・・でも」

 

 

 

バンっ!!!!

 

 

 

 

「ミスだと!!こんな簡単な計算式のミスなどするんじゃない!!

いらない仕事を増やすな馬鹿者!!!」

 

 

 

書類をハボックに叩きつけながら突き返す。

 

ビクリと方を振るわせたハボックは、それでも敬礼を瞬時に行い、頭を下げ「失礼しました」と書類を受け取りそのまま下がっていく。

 

 

イライライライライライライラ。

 

ムカつきは更に増加していく。

 

並んでいた数字は確かに計算ミスだった。

しかし、それは桁数が膨大で、入り組んだ計算式が必要なもので。

それを畑違いのハボックが担当していたとロイとて分かっていた。

そんなことは一目みて分かっていた。

計算のミスに気付く前にそんなことは分かっていた。

 

 

だが、声は裏腹にハボックに怒鳴りつけている。

 

 

奥歯を噛み締めて、胸につかえている何かを吐き出そうと息をするが上手く息が吐けない。

それにすらイライラとこみ上げてくるものがあり、さらに機嫌は急降下する。

 

 

 

 

「失礼します」

 

 

「・・・・・・・なんだ、また書類の追加か?見ての通り置く隙間すらない」

 

 

再び動き出した手首はツキリと痛み、それを無視して慣れた名前を書きなぐっていく。

声だけを中尉に向けて、八つ当たりのような言葉を吐いていることは自覚するも、それをどうにかしようとはもはや思うことも無駄のような気がする。

 

 

「珈琲をどうぞ」

 

「濃い一杯を?・・・・何杯飲めば胃が壊れてこの場から離れられるのだろうな」

 

 

吐き捨てるように言い、珈琲を受け取る。

書類に埋められた机には珈琲の一杯すら置くような場所がないのだ。

 

 

 

受け取ったカップは白い陶器に青い線がシンプルに1本入っているのみのもの。

うっかりとペンを使いすぎて痛む腕の側で受け取ってしまい、カップの重さに顔を顰める。

 

 

それでも。

 

 

フワリと漂ってきた香ばしい香りにすっと目の下の力が抜けていくような感じを受ける。

誘われるままに珈琲を口に入れる。

 

 

 

自分の頭が覚めていく。

イライラと募っていたものが溶けていくようだ。

 

 

 

 

『ロイ、君は何をしても出来るが、僕はそうではない。

 全ての人が君と同じだけに理解ができ、それを発することなど出来ないと、

 そう君は理解すべきだ』

 

 

 

いつだったか、そう言われたことがある。

 

 

 

そして。

 

 

 

自分の都合や上手くいかないという愚かな理由で部下に当り散らすなどという愚か者にはならまいと、

そう思った自分も確かにいたのだ。

 

 

 

 

この珈琲の香りは自分に昔と確かな決意を思い出させてくれた。

 

 

 

「中尉・・・・この珈琲は」

 

 

「『貴方にとって心地よい一杯を』・・・・店主の方の受け売りですが」

 

 

「・・・・ハボックにすまなかったと伝えてくれ。

 ただ、ミスはもうしてくれるなとも言っていたと・・・・・な」

 

 

「承りました」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それから忙しさに自己を失いかけてしまうような時に、

この珈琲は自分の下に届けられた。

 

 

その度に戒めを自分に行い、書類に向かう日々を続けた。

 

 

 

「まったく・・・・胃が痛いと医務室にいく時間すら与えてくれないとはね」

 

 

今日もまた珈琲を飲みながら書類の山を見つめて呟く。

 

 

「・・・しかし、マスタング大佐。医務室を目指している場合ではありませんよ。

 今日の午後三時の便でエドワード君がこちらに来るそうですよ。

 ・・・・・・3か月ぶりですか。これを逃すと半月会えないことになりますね・・・・」

 

 

 

 

残っていた珈琲を一気に煽り、ロイは目の前の書類に掛かる。

 

 

その姿にホークアイは少しだけ頬を緩める。

 

 

 

「貴方に心地よい一杯と・・・・恋人と過ごす時間を・・・・かしら」

ロイエド子