オーディ珈琲店と外界は1枚のドアで区切られている。
そのドアの中央より少し高い位置には通りからは中を覗けるように小さな窓がついている。
覗けるといっても通りを歩く人全てが中を覗いていくようなつくりのものではなく、
また、内部にいる者たちの顔や仕草が全て覗けてしまうような無遠慮なつくりでもない。
本当に極小さな、そして品のいいガラスがはめ込まれたようなドアなのである。
その入り口のドアにはベルが付いており、ドアを開くとカランと響く音が店内を包む。
オーディ曰くそのベルは珈琲店といったら付けるものだと思っていたというほどに当たり前にそのドアにつけたものであったようで、外から向かいいれる客との最初の挨拶のようなものだという。
そうして今日もカランという音とともにオーディ珈琲店に新たな客が訪れる。
【旅支度に珈琲】
「おぉいボウズ。ここは大人の珈琲店だぞ。子どもは家でミルクを飲んでいればいいんだ」
ははっと笑い声に混じり、カウンターで珈琲を楽しんでいた男がカランと音がしたドアに向くとすぐにそう言った。
オーディ珈琲店は馴染みの客がほとんどで新規の客というのは滅多に足を向けたりしない。
それは珈琲の味ではなく、その店の立地のせいだと誰もがそう思っていた。
実際にオーディ珈琲店は通りから入り組んだ場所にあるし、細い細い路地を入った先の小さな店だ。
存在を告げるのは本当に小さな看板と香ばしい珈琲の香りだけ。
最もその香りをおいてオーディの珈琲をアピールすることなど出来ないわけなので、
うっかり道に迷ったものがその香りに連れられてそのまま常連客と言えるほどに足繁く通うことになるというのもよく聞く話ではあるのだが。
冬が近づいてくるその日の午後。
ゆっくりとランチの後の一杯を楽しむような時間のその時に、ドアはカランと音を立てた。
男が揶揄したように、そのドアが開かれて入ってきたのは一人の小柄な子どもであった。
金色の髪に金色の瞳。
そして羽織っている赤いコートがとても印象的だ。
ただ、このオーディ珈琲店には子どもの客は滅多に足を踏み入れない。
もちろん親に手を引かれてくることはあっても、初めて見る顔がそこにあっては男もからかう心が出てしまったのだろう。
男の顔に盛大に顔を顰めて、入ってきたばかりの子どもは大声を上げた。
「誰がどっからどう見てもガキにしか見えない子どもだって!!!
誰があんな白濁とした白黒の動物が出す液体なんて飲む気があるってんだぁぁぁ!!!!」
その余りの怒鳴り声にからかった男はとても驚いた。
はっきり言ってここまで子どもだとは思っていなかったのだ。
ここは酒場ではないにしろ、こんな台詞はよく言われる。
大人が出入りする場所に子どもが居れば「早く帰れ」と暗に言ってやるのが大人の務めというものだ。
からかいを向けた子どももきっと見た目よりは大人だと思ったから、
「あぁ、ただの買い付けだよ」とか「手伝いを頼まれたんだ」という切り替えしを期待していたのだ。
まさか、ミルクにここまで反応するとは。
「どうかしましたか。・・・・・いえ、すみませんね。裏で荷造りをしていたもので。
家の常連が失礼なことを言ったようで・・・・・申し訳ありませんな」
トタトタと木の床を鳴らしてオーディは走り寄った。
店内の裏手で注文されていた荷を集配に渡していたら、聞きなれない声が聞こえてきた。
紛れなく自分の店内での大きな声だと判断してすぐに駆け寄ってきたのだ。
長い間ここで店をしているが、店内でケンカを始める客などいなかった。
さすがに酒を振舞っているのではないのだからと安心してはいたが、
自分の居ない間にイザコザが起きてしまっているのだとしたら、どうにかしなければと思う。
第一、ここは人に心地よさを提供する珈琲店であるのだとの自負もあるのだ。
オーディは手を握りながら店の入り口に立っていた。
からかわれたのであろう小柄な子どもとからかったのであろう常連の大人。
場を収めるためにオーディはからかわれたのだと思しき子どもに頭を下げた。
それに慌てたのは言い合いをしていた両者であって、互いにオーディに対して謝ることになった。
「ところでどんなご用件でいらっしゃったのでしょう。何かお探しで?」
前に進まない話を進めるようにして、オーディは金色の子どもに話かける。
からかい口調の男は「今日は失礼するよ」とカウンターに払いをすませて店を出るところだ。
出掛けに「ボウズ、好きなモノを淹れてもらいな。オーディさん払いは後でするからご馳走してあげなよ。ミルクよりもよっぽど上手い珈琲が飲めるぞ」と笑いながら手を振ってその場を後にしていく。
手を振る男をゆっくりと目に追いながら驚いたような顔をする子どもをみて、少しだけ嬉しくなる。
与えられた優しさにくすぐったさを覚えている子どもの顔をしている。
「あの方も中々に良い方なんですよ。ただ口が悪いのが難点ですがね」
くすくすと笑いながらそう言ってやれば、そのままこちらへ向きかえり、「そっか」と子どもは笑った。
「あのさ、この珈琲をお願いできるかな?」
子どもは赤いコートのポケットから1枚の紙を取り出した。
丁寧に折りたたまれた様子のその紙だが、端がいくらか折れてしまっている。
「拝見します」と答えて紙を受け取ろうとするとカチャリと鳴る小さな音に気付く。
その音は子どもから発せられているもので、長い間人を相手にする商売をしていたオーディにはすぐにそれが機械鎧が擦れる時に発する音だと気がついた。
小さな体に機械鎧。
その要素は同情ではなく、ただの痛みとしてオーディには感じられていた。
「おや、この珈琲は」
子どもが差し出した紙には見覚えのある銘柄が書かれていた。
そしてその文字もある軍人が受領書にサインを行う字ととてもよく似ている。
あぁ、そうか。
この子が例の珈琲を飲ませたい相手であったのか。
16歳の女の子。
忙しくて休む事もできないと言っていたか。
そうしてあの軍人である彼女が妹のように娘のように大切にしているであろう女の子。
「頼めるかな。飲ませてもらった所で聞いてきたんだけど。
できれば小さなパックにいれて貰えるとありがたいんだ・・・これから旅にでなくちゃいけなくて」
躊躇いがちに聞くその子の瞳はまるで蜂蜜を溶かしたように綺麗だ。
こんな小さな少女が休む事すらできない忙しさに身を置いていることが、
何故だか機械鎧と関係しているような気がして、オーディは再びチクリと痛む胸に気が付いた。
「もちろんできますよ。持ち運びが便利で、すぐに飲める状態にしておきましょう。
どのくらいの分量がいいでしょう・・・旅の期間はどの程度でしょうか」
痛む胸を隠すようにして、オーディは注文の内容を確認する。
珈琲の焙煎をどの程度するか淹れる状態はどのようなモノか。
この少女に少しでも美味しく珈琲を飲んで欲しいとオーディはそう思っていた。
「旅は・・・きっとまだ終わらなくて、でもまた報告に帰ってくると思うから。
ざっと3か月ぐらいかな。でも毎日徹夜する訳でもないから・・・保存が効くぐらいの分量で」
苦笑いのままで「曖昧な返事しかできなくてごめんな」という声に、オーディは頭を振る。
「いえ、充分でございます。
貴方に心地よい一杯でありますように」
すぐに準備をして来ますから、その間どうぞ一杯飲んでくださいとカウンターの席を勧める。
注文は分からないというので、オススメの一杯を淹れてカップを置いた。
金色の蜂蜜を砂糖の代わりに溶かした一品。
味は優しく、胃にも優しいそんな珈琲を一杯。
「貴方に心地よい一杯でありますように」