【オーディ珈琲店 5 】


「はぁ…何があったのだね全く…」

盛大にため息をついたロイの前には、
ソファーに申し訳なさそうに肩を小さくして座っているアルフォンスと、
ぷすりと顔をしかめて横を向いているエドワードがいた。

しかもエドワードの頬にはガーゼが当てられている。

せっかくの可愛らしい顔に傷でも残ったらどうするのだと、
ロイは何度伝えても自分を大切にしないエドワードにもう一度ため息を漏らす。


昼過ぎの列車でこちらに着くこと報告を受けていたというのに、
司令部に届いたのは「着いた」という連絡ではなく、
「鋼の錬金術師が暴れている」という通報であった。

通報を受けた先の住所に眉を寄せる。
これは偶然の一致なのだろうか。
先程まで話題に上っていたカフェがその通報先だなんて。


「まったく…トラブルメーカーの申し子かね」


駆けつけて見れば…店はそれ程壊れていなかった。
「錬金術」だの「暴れている」だのと通報されていたのだから、
もっと酷い状態になっているだろうと覚悟していた店内は
可愛らしいチェックのテーブルクロスはそのままであるし、
割れているティーカップは足元に少しの破片のみ。

「暴れている」との通報は別の店だろうかと思うほどに。


しかし、店の奥から響く怒鳴り声は確かにエドワードのものだった。
ぎゃあぎゃあと騒ぎ立てる店主を何とか自慢の笑顔で黙らせて、
なんとかエドワードを店から連れ出すことができた。

「はなせっ」と抵抗をするエドワードの手を引き、
車の中に押し込めるようにして攫う。
「何があったのだね」と聞くもエドワードは何も話さない。
窮屈そうに座っているアルフォンスに目線で問うても、
何も答えとなるものは得られなかった。


車の中でもだんまりを決め込んでいたが、頬には擦り傷があって、
簡単な処置を済ませてからエドワードは執務室にやって来ていた。


「私は君が店で暴れていると通報を受けたのだがね」

何度目だろうかとため息混じりに問えば、
アルフォンスが「え?」と俯いていた顔を上げて聞き返してきた。

「兄さんは暴れてなんていません。
 確かに…店の方に怒ったけれど…でも、兄さんは間違ってない。
 それに、カップを投げつけたは店の人だ」

ずっと黙ったままのエドワードの代わりにアルフォンスは語る。
それをエドワードは苦い顔のままで聞いていた。
いつもはエドワードの方が子どもっぽい、アルフォンスの方が年上のようだと言われる事が多いが。
それでもやはりアルフォンスはエドワードの弟である。
姉が悪く言われれば腹も立つし、まして、それが誤った情報によってならば尚の事だ。
頬に擦り傷なんて、女の子なのにっ!!と怒りたいくらいで、
さらに酷い傷を負っていた可能性だってあるのだから。


「それは…真実かね?鋼の」



【オーディ珈琲店 6 】



聞いた話にロイは苦い顔をする。
どうやらこちらが聞いた話とは随分と違っているようだ。

電話先の通報者とエルリック姉弟の話。
その話が食い違っているとして、
どちらを信用するかなど自明のことだ。


もちろん、ロイをはじめ、
姉弟をよく知る軍部の者達は、二人の話を信じた。


「でも…一体何だったんでしょうあの店は」

コクリと頭を傾げて、アルフォンスが言う。

何に対しても優しい彼だが、
こと姉を傷つける者に対しては違うらしい。
姉に対して敵意を向けるものは、敵として認識するようだ。
可愛らしい仕草の影に、ピリピリとした空気が伝わってくる。


ふぅとため息をついてから、
ロイはホークアイに資料を運ぶように指示した。


「あの店の出資者には軍人が関わっていてね」

デスクの上に肘を乗せて、
ロイは困ったことだがと前置きしてから話し始める。

「どうも善からぬ方法で、軍の財力と権力を握っているらしい」

ロイの懐刀たちが調べたことによれば、
軍人は実力外の方法で今の地位にいる可能性が高いという。


「しかも、その財力の源泉がさらに闇のマーケットだと」

ここまで来ると、王道といえるような方法である。

「・・・・・なんだそれ・・・本当なのか?」

あまりに出来すぎた話に、今度はエドワードが首を傾げた。
それに答えたのは得意な顔をしたロイであり、

「まぁ、私よりも出世が早いなどという輩は、
 何かしらの悪戯を重ねて、不当に手に入れた地位なのだよ」

と若干の自慢をしながら、そう答えた。

「はぁ?・・・じゃあ、その軍人ってあんたより地位は高いのか?」

「あぁ、少将の地位にある者だ。・・・名をなんと言ったか」

「アデル少将です」

すかさずフォローを入れたのは、もちろんホークアイであった。
出世に関して貪欲なロイが、
名を覚えていないという仕草をするということからも、
そのアデル少将が小物だということが知れた。


「時に鋼の。少し頼まれ事をしてくれないかい?」

ロイは言いながら、ニヤリと笑い、
デスクに置いた手を組み、顎の下に持っていく。

その様子は、まさしく「企んでいます」という雰囲気で、
エドワードは一歩後ろに体を動かすと、
「おっ俺・・・忙しいから」とその言葉を拒否した。

それを聞いたロイは、
「ほほ〜う」とこれまた怪しい言葉を返しながら、
勿体つけて「いいのかい?」と念を押した。

「いいのかい?」と言われては、
「ダメな事があるのか?」とエドワードは気になった。

それが子どもの好奇心故なのか、
生来の研究者気質によるものなのかは定かではないが、
そうエドワードに思わせた時点で、
ロイの策中に嵌っていたのだと言わざるを得ない。


「君が頷いてくれるなら、話をしようじゃないか」


ずるい大人の話術に、
天才と称されるエドワードであっても、
第六感の危険信号に気付きながらも、
頷いてしまった。




【オーディ珈琲店 7 】



ロイの頼まれ事は、エドワードを唖然とさせた。
その内容が余りに真面目なものだったからだ。


「潜入捜査をしようと思うので、その補助を」と。


頷いてしまったことを盛大に後悔していたエドワードは、
そんな頼まれ事ならば、最初から含まずに言え!!と思う。

「なんだよ・・・もっと厄介な事かと思ったぜ」

「まぁ、今回の潜入捜査は君の役割に
成功が掛かっているようなものだからね」

「俺の役割?」

「私たちでは顔が割れていて、踏み込んだ捜査はできないのだよ。
その点、君ならばまだ動きやすいだろう」


詳しい話はまた今度だ、と1度その場で話を打ち切られた。
用意をしなければならないので、3日後に来るようにとも。

「はぁ?!そんなに時間がかかるのか?」

1日でも無駄にする時間などないと常々思っているエドワードにとって、
その時間ロスは痛かった。

「ニ、三冊新たな文献を書庫に入れているから、
それでも読んで待っていなさい」



−−それから3日後−−



「だぁぁぁぁ!!なんだこりゃぁぁぁ!!!」


エドワードの声に、室内にいた一同が耳を塞いだ。
3日後、借りていた文献を腕に抱いて、
「なんだあいつもいい奴だなぁ」と貴重文献を読めたことに
ホクホクとして、執務室に足を運んだエドワードだったが。


「やぁ、君にはこれを着てもらいたいのだ」と、
恭しく掛けられていたペールをロイがふわりと外すと、
そこには更にふわふわとした衣装があった。


「3日で用意させた割には、よい出来だろう」

得意顔でのたまる大人に殺気を起こしながら、
エドワードはひらひらふわふわとした衣装を見やる。
もしかしたら、見間違えだったかもなどという甘い考えは、
もちろんのこと、すぐに打ち破られた。


「3日の用意はこの為かよ!!!」

「そうだが、これでも無理を言ったのだ」と平然と返されれば、
充実していたはずの貴重文献との3日間が
何やら無駄であったような気さえし始める。

「こっこれを俺が着るのか?」

「何を言うのだい?このサイズの特注を作ったんだ。
君以外の誰が着れるというのだい?」

「だっ誰がサイズを特注しないと、ヒラヒラも着れない程、
小さなミラクルドチビかぁぁぁ!!!」


再びの大声であったが、
今度は前もって耳を塞ぐ事の出来た軍人たちは、
「元気だなぁ」とのんびりと思いながら上司とのやり取りを見ていた。


「あっあのぉ・・・これの本当の意味って何なんですか?」

後ろにいたアルフォンスが控えめに聞く。

確かに、そのヒラヒラふわふわの衣装は可愛くて、
黒と白というシックな色彩であるというのに、
ふんだんに使われたレースとシルクの生地が豪華である。
要所に施されたリボンも可愛らしい。
姉の金色の髪に良く映えるだろうし、
豪華な服と編み上げのブーツは機械鎧も隠してくれるだろう。

けれど、聞いていた潜入捜査にこの服を着て、
姉がその働きをまっとう出来るか疑問である。

どう見ても可愛さ重視のその服は、
暴れ屋気質の姉には向いてはいないだろう。


「それはだね」と、ひどく勿体付けながら、
エドワードに食いかかられつつも、ロイは言い放った。


「この闇マーケットは、ゴスロリ愛好者御用達なのだよ」と。


【オーディ珈琲店 8 】


ロイは固まった。
ロイだけではなく、ゆっくりと開かれた扉から現れた人物を
見たものは皆、固まるしかなかった。


ふんだんに使われたレースとフリルが揺れる。
三つ編みにされていた金色の髪は背中に流されて、
細く黒いリボンが耳元の一房に編みこまれている。

そして顔を隠すように持っているのは、
ピンクのウサギ。
それでも隠しきれていない頬には朱色が差し、
可愛さを増幅させている。


(かっ可愛い!!!!)


ロイにはロリータコンプレックスは無かった。
それでもエドワードに焦がれる気持ちは隠しようがなく、
それはエドワードがエドワードであるからと、
恋をすれば世間体など!という思いによってカバーされていた。
そして、何よりも他の幼女に触手が動くことはなかったのだ。


しかし、エドワードのこの姿は可愛すぎた。
ある程度これを着させれば可愛いだろうなぁと
注文をする時に想像しながら選んだのだから、当然なのだが、
遊び半分に選んだウサギのオプションも、
まさかここまで可愛さを演出してくれるとは思っていなかった。


「ふふっエドワードくん。しっかり立って御覧なさい」

「だっだって!!!・・・似合わない・・・んだろ?」


着替えと薄化粧を手伝ったホークアイが後ろから声を掛ける。
しかし、エドワードはギュッとウサギを掴んだままで、
顔を覗かせるようにして声を絞る。

普段から男装しかしていないのに加えて、
言葉遣いも動作も男だと疑われない所作をしてきたのだ。
今更に少女の・・・それもゴテゴテとした恰好をしたところで、
笑われる以外の反応が思いつかない。

盛大に笑われるものだと思い、思い切って扉を開いたのに、
笑うどころか、周りの者達は一斉に静まり返って
こちらを凝視している。
思わず持っていたウサギの人形で顔を隠したが、
その後も反応らしい反応が返ってこない。

あぁ、きっと可笑しすぎて笑いもできないのだ。
エドワードはそう思った。


見たことも無い物を見た時の「何が起こったのか分からない」と
いう状態なのだろうと。


そう思うと、情けなくて、逃げ出したくて、
しかし、この場を動くにも動けなくて。


これならばいっそ笑われた方がどれだけ気が楽だったかと、
エドワードは唇を噛んだ。



「はぁ・・・全く、レディが着飾っているというのに、
 揃いも揃ってエドワードくんがあまりに可愛いからって
何も言えなくなるなんて情けない。」


後ろからエドワードの肩に手を置いて、
唖然としたまま動かない男どもにホークアイはため息をつく。

その声に一同は動揺を残しつつも金縛りから抜け出した。
最初に言葉をかけたのはアルフォンスであり、
「可愛い」と心底嬉しそうな声で姉を褒めた。

その後、ブレダ・フュリー・ファルマン・ハボックが、
それぞれに逃げようとするエドワードの傍により、
「上手く化けたなぁ」「可愛らしいですよ」とからかい混じりに
エドワードの装いを褒めた。


「だめだ・・・・・」


皆が口々に褒めてくれるのが恥かしかったが、
それでも嬉しく思っていたエドワードの耳に、
ロイの呟いた声が届く。

その声にホークアイは眉をあげて、
銃に手を伸ばしながら、上司の方へとゆっくりと振り返った。

周りの一同も「何だ?」と静まる。


「たっ大佐・・・やっぱ似合わないよ・・・な」

再びしゅんとなってしまうエドワードに、
ホークアイはいよいよ銃の安全装置を外す事を決意する。


「駄目だ!そんなに可愛かったら、潜入捜査にならないっ!
 君が誘拐されてしまうではないかっ!!!!」



【オーディ珈琲店 9 】


「君と私は主従関係という設定だから、
そうだな…君の事はエディと呼ぼうね。
君は…一度ぐらい「ご主人様」とでも呼んでみるかい?」

「ふざけんなっ!!」

「その顔で凄んでもまったく意味は無いが…。
「ご主人様」がダメなら名前だな。
言っておくが捜査なのだから、「大佐」などとは呼ばないでくれたまえよ」

「うっ・・・・わかってるよ」

「そうか。では言ってみたまえよ」

「・・・・・・・ますたんぐ?」

「・・・君は私のファーストネームを知らないのかい?」

「・・・・・・・・・・・・・ろい」

「次に呼ぶときはもう少し大きな声で頼むよ。エディ」

「うっさい」





潜入捜査としてやって来たのは一流ホテル。
「こんな所でやってんのかよっ!!」とエドワードが驚きの声を挙げたのも無理は無い。
多くの者が闇取引と聞けば、怪しげな路地裏通りであったり、
郊外の古びた洋館などを想像するだろう。

しかし、会場とされる場所は市内のど真ん中。
煌びやかな明かりが闇の深まった車道にまで伸びているが、
華美な程ではなく、気品を備えた外装がより鮮明になっている。
ロビー入口にはガードマンが立ち、客に恭しく頭を下げたり、
衣服のみすぼらしい者を摘み上げたりしている。


「こちらの方が都合がいいらしいよ」

金で全てを覆してしまう裏の人間たち。
より高い金をちらつかせれば、容易く寝返る者がいるのも事実。
それに対して、客の信用や外聞を気にする一流企業は、
一度付いた客に対しての情報を外部に漏らしたりはしない。
「あやしい」などという曖昧な情報などでは、
たとえ軍からの要請であったとしても、
「捜査令状をお持ちになって出直してくださいませ」と
軽く笑顔であしらわれる事だろう。


「まったく身分が高い者達が考えそうな事だ」

ロイはため息混じりに話しながら、
きょろきょろと豪華なホテルの内部を見るエドワードに視線を移す。
リムジンで乗り付けて、手を引いてエスコートをした少女は
あまりに可愛らしい。
手にしているピンクのウサギをぎゅっと抱きしめたままで、
興味津々な様子は年よりもなお幼く見える。

(まったく・・・・これでは囮捜査になりかねんな)


愛好者の集まりとされている集会で、
どうやら人身売買のマーケットもあるという。
年の若い少女を攫っては、薬漬けにし、着飾って、売り渡す。
そいつらの神経を疑うが、
そんなイカレタ者達の集まりなのだ。

エドワードを連れてボーイによって開かれた扉をくぐると、
ざわついていた会場内が一気に静まり返った。
ロイはさっと眉を寄せる。

会場内の視線がこちらに…いや、隣にいる少女に向けられている。
品定めをするような視線は、間違いなくエドワードに向いていた。


「鋼の。君が予想以上に可愛らしいものだから、
エサとしては充分過ぎるようだ。
・・・私は会場から一度離れねばならんが、
君は絶対に会場の外には出るなよ。」


ぽそりと耳元で囁かれたロイの声に、
エドワードはビクリと肩を揺らしてしまうが、
先程までのからかい半分の「エディ」という呼び名ではなく、
「鋼の」と呼ばれたことからも、
それが指揮官からの指示であるのだと分かる。

きょろりと周りを見渡していた視線をロイへと向けると、
エドワードはこくりと小さく頷いた。



拍手ありがとうございました