【オーディ珈琲店 10】

「ふぅ」

手にしたオレンジジュースは程よく冷えており、
緊張から喉が渇いてしまっていたので一気に飲み干す。
さすがに高級ホテルのジュースだけあって美味い。
カランと氷が音を立てたところで、そのグラスを下ろす。


「この会場から離れないように」とだけ言い残し、
ロイは仮面をつけたタキシードの群れの中に消えていった。
さすがに身分が割れてはならない者同士の集まりなのか、
それとも会場を盛り上げる為の一種の小道具なのか、
集まった客たちは皆、瞳を覆う仮面をつけている。

その仮面すら嫌味なほどに似合っていたロイが、
自分から離れていくのを何と無しに目で追いながら、
再びエドワードはクルリと会場の中を見渡した。

煌びやかな空間に和やかな歓談。

しかし、やはり異様な空気は隠せるようなものではなかった。
エドワードと同い年、さらに幼いと思われる少女が、
エドワードと同じく着飾られて傍に置かれている。

もちろんエドワードは人の趣味にどうこうと言うつもりはない。
実際に洋服は可愛いと思うし、着飾ることは楽しかった。
ふわふわしたスカートも袖口のレースも、
女の子であれば憧れる対象となっても何ら不思議はない。

しかし、それは少女の意思である場合。

会場に連れて来られている少女たちは、
みなどこか人形のような雰囲気を持っている。
可愛らしく着飾っているというのに、目線は定まらない。
嬉しそうにはしゃいだ様子もなければ、
エドワードのようにジュースを手にする素振りもない。

実際、エドワードがジュースを受け取りに行くと、
ボーイは「えっ?」と一瞬だけ躊躇いを見せた。

意思を持たない人形のような存在。

その様子はとても気味が悪い。
ましてや、その人形を人形として自慢している大人も、
とても正気の沙汰とは思えなかった。


(大佐は・・・どうするつもりなんだろう)


自分が連れてこられた意味を推測するに、
怪しまれることなくこの会場に侵入するためで間違いはない。
どうやらこの様子だと、
会場に連れてこられている少女たちは何らかの組織と繋がっているのだろう。
ボンヤリとしたあの様子には「麻薬」の影が見える。
ならば「人身売買」の可能性もその延長に知れるわけで。

(その尻尾を掴もうってことなのか?)

この手の会場が客の不利益になることを口外しない以上、
どこかで現場を押さえないといけないのだろう。
そのための潜入捜査ということか。

大佐が自分から離れたのも、
どこかの有力者たちの繋がりを調べるためか、
あるいは大佐自身が上客であることを主催者に知らせて、
人身売買の客として信用させるためだろう。


(まぁ、とにかく動くなってことだし、
 何もしない方が無難だよな・・・動ける状態じゃないし)


自分のヒラリとしたスカートを見てエドワードは苦笑する。
この恰好では、暴れようとしても無駄だろう。
外見ではふわふわと可愛らしさ溢れる衣装であっても、
その実は動き難くてしかたない。


・・・・・こんな恰好している時ぐらい、
女の子ってやつに戻ってもいいってことかな・・・・・


自分の考えにやはり苦笑しながら、
エドワードは壁にゆっくりとその体を預けた。



「お嬢さん?顔が赤いですよ・・・・?」




【オーディ珈琲店 11 】



「少将は軍人でない方が有能らしい」


ロイは手元の資料をペラリと繰りながら呟く。
事細かに書き込まれている暗号の数々も、
錬金術の暗号に比べれば容易く読み解く事は可能だ。

ホールにエドワード1人を残して別行動をすることは、
嫌だった。そこに私情が入り込んでいると分かっていても。
潜入捜査だからと割り切ってしまう気にはなれない。

ただ、あの格好のエドワードを連れて歩けば、
当然、身動きできる範囲は狭まる。
ましてや、「人身売買」の尻尾を探ろうというのである。

最もエドワードにあの恰好をさせたのは、
トラブルメーカーの彼女が1人で突っ走らないようにするため。
首を突っ込めば何をするか分からないからこそ、
先に動きを止めてしまおうと、身動きの取り難いデザインにしたのだ。

であるから、会場へ入るために怪しまれないことが
第一の目的であり、捜査自体への協力は元々考えていなかった。

それでも、可愛らしい恰好であるエドワードを
1人にすることに躊躇いが消えなかった司令部一同であるが、
エドワードを1人にした理由にはもう1つあった。
それは愛好者たちの間で暗黙の了解とされていることがあるからだ。


「人の人形に手を出さない」


それは愛好者たちの歪んだ性癖の1つであるらしく、
彼らは他人に触れられていない人形を愛でることを
最上の喜びとしているらしかった。

つまり、ロイが共に並んで会場に入ったことで、
エドワードはロイの「人形」であるのだと彼らは思っただろう。
いかに美しく、可憐であったとしても、
それはもう他人のモノであるのだから、彼らには手出しできない。

明確な規則ではないが故に、彼らはそれに縛られている。
曖昧な空間であればこそ、他を牽制しあっているのだろう。


「とはいえ、1人にさせておくのも心配だ」


うっと意識を取り戻し始めた監視の者の首元を
もう1度殴りつけてから、ロイは証拠となる物件を押さえていく。


戦災孤児を攫っては「人形」に仕立て、
愛好者のバーティを開いては「人形」を売り渡す。
得た財によって私腹を肥やし、
その財を賄賂に変えては、上層部に取り入る。

幹部の娘を妻にし、その妻に頭が上がらないのも、
取り入った父親の権力に縋りたいからなのだろう。
脂ぎったアデル少将の顔を浮かべてしまい、
眉に力が入る。

彼が急に視察だと訪れたのにも、
「戦争」の匂いがないか嗅ぎに来たのだろう。
なめられたものだ。

内戦の傷跡をどうにかしようと奮闘している横で、
手招いて戦争を望んでいるものが居るなどと。

「叩いてホコリの出ないものは居ないというが、
ここまでホコリが出るとも思わなかった・・・。
オーディに感謝というところか」



【オーディ珈琲店 12 】



フワリとした浮遊感と頬の熱っぽさに、
自分が少なからず酔っ払っているのだとエドワードは自覚した。

先程受け取った「オレンジジュース」はどうやら酒が含まれていたらしい。
ボーイが躊躇いを見せたのは、単に意思を持たない「人形」が
飲み物を所望したという以外に、幼さの残る自分に酒を渡して
いいものなのかという躊躇いだったのだろう。

自分の迂闊さに「ちっ」と舌打ちするが、
今更どうできる訳でもなく、「酔うとこんな感じになるんだ」と
どこか別次元の事として考えている自分がいる。
それこそ、「酔っている」という状態なのかも知れないのだが。

しかし、当面の問題は目の前の男だろう。

どこかのエリートなのか、ブランドに疎い自分であっても、
高価なのだと知っているブランドのスーツを着こなし、
当たり前のように仮面で顔を覆っている。

「顔が赤いよ、酔ってしまったのかい?」と、
さもいい人そうに話しかけてくれているのだが、
自分としてはこんな場所に出入りしている時点で、
「要注意人物」に違いなく。

(ど〜すっかなぁ・・・)

幸い飲んだ酒の量は少ない。
一気に煽って飲んだことがこの酔いの原因なのだろうと思うし、
ここでじっとしていれば、よもや倒れる等という事態にはならないだろう。

人が良さそうといっても、上から下まで品定めをするようにして
自分の恰好を見ているこの人物がどのような人か分からない以上、
下手に無下にすることも今後を考えると危ない。


(猫でも被るかなぁ〜)

少しもフラついていないのに、「手を貸しましょう」と延ばしてくる
男に嫌悪感はあるものの手を払うことは出来ない。

「人形」だもんなぁ。

怪しい素振りをするのは得策ではないだろうし。
周りの「人形」に合わせて、自分もどうにかした方がいいのだろうか。

(・・・・まっいっか。大佐に見せるわけでもないし)


「ありがとうございます。でも、大丈夫ですわ」


少しだけ口元に手を当てて、
大げさにならないようにそっと男の手から体を反らせる。

(おぉいい感じだ)

自分の言葉にゾワリとした感じを受けるけれど、
少し酔った状況では何だか楽しくさえ感じられる。




【オーディ珈琲店 13 】




「・・・・・・疲れる」


言い寄る男に、「大丈夫ですわ。ほほほ」と、
出来る限りの女の子っぽい仕草をしつつ、
「ちょっとテラスで酔いを冷まして参りますわ」と
部屋を後にした。

自分は列記とした「女」であるというのに、
「女の子っぽい」仕草をする方が「男の子っぽい」仕草を
するよりも疲れるというのはどういう訳なのだろう。


ガラス戸を開くと風が頬を撫でた。
人の熱気と酒のせいで熱くなっていたので心地良い。
外からはホテルの街灯が見渡せてとても綺麗だ。


風に胸元のリボンが揺れ、我に返る。


「何してるんだろ・・・・俺」


こんな所に1人。
いつもは着る事のないフリルとリボンが沢山ついた服。

華やかな時間であればあるほど、
現実に戻った時の焦りは増すのかも知れない。
自分には時間がないのに。


「早く帰って来いよなぁ・・・・」


1人でいるからこんなに思考が下降するのだと、
一緒に来たはずなのに、隣に居てくれない事に腹を立てる。

確かに潜入捜査に来たわけであるし、
自分は満足に動く事もできない恰好をしていると知っている。
けれど、少しぐらいは・・・・。

そう想像したエドワードは、
すぐに頭を振って考えを消した。

(なっなに想像したっ?!)


頭の中に並んだ大佐と自分の姿を想像してしまい、
顔を赤らめてしまった自分が信じられない。
どうも「女の子っぽい恰好」は、
自分の思考すらも変化させてしまっているようだ・・・。



「誰を待っているんだい?1人で寂しい?」



急に聞えた声に「え?」とエドワードが後ろをふり向くが、
そこに頭の中で描いていた人の姿はなかった。

そこに居たのは、先程まで話していた人の良さそうな男。
ただ、今度はニヤニヤとした顔を隠そうとはしていない。


「君、ただの人形じゃないね。
話し方を変えたところで「人形」をよく知る人がみれば、
違うことはすぐに分かるよ」


コツリコツリと近づいてくる男。
あぁもうどうしようかとエドワードは考える。


目の前の男をのすことは容易い。
どこぞのぼんぼんか知らないが、右手で殴れば一発だ。

だが、ここで騒ぎを起こすのは得策ではない。
潜入捜査に来ている事までは気付いていないだろうし、
騒ぎを起こして会場内にいる者達を動揺させてはいけない。


「それとも、その話し方も調教の賜物なのかな?
その話し方も充分魅力的だしね・・・。
その調教は彼の・・・あの黒髪の若い男から受けたのかな?」



【オーディ珈琲店 14】


一瞬何を言われたのか理解できなかった。
けれど、その言葉を理解するのと同時に怒りが身体を満たした。

だって、それは。
自分だけではなく、彼を愚弄する言葉だ。

彼は自分に優しい。
甘い上辺だけの優しさではなく、
立ち上がるための言葉と手を差し出してくれたのに。


そんな下卑た顔で笑いながら称されることなど何一つない。
彼は本当に、言葉で言い表すことが出来ないほどに。


「てめぇ・・・取り消せよ!!」


ぐっと拳に力を込めると、
いつもとは違うシルクの手袋がキシリと鳴った。
きっと貴婦人たちはこのように手に力を込めることなど
無いに等しいに違いない。


力の限り睨みを利かせて、目の前の男を見上げる。
しかし、男はさらに厭らしく眉を細めた。


「ほぉ。主人を愚弄されて怒るのか。
 随分とご執心なんだな。それもまたいい。
 主人に忠誠を誓いながら口汚い人形か。
 ぜひコレクションの一品に加えたいものだ」


ニヤリと笑う口にエドワードはゾクリとした。
こいつは危ない。
人を人として扱うことのできない部類。
すでにこいつの中で自分は「人形」でしかない。

きっと俺の手を折ることも、
足をもぎ取ることも、命のない人形を操るのと大差ない。


以前、これと同じような視線に晒されたことがある。


それはまだ大佐に出会ったばかりの頃。
自分の力を過信し、人の小ささを知らなかった頃。
殺人鬼を前にして、死の恐怖に囚われたあの時。

あの時の恐怖が共に競りあがってくるのを
エドワードはぐっと耐えた。


もうあの時の俺とは違う。
目の前の出来事しか捉えられていないわけではない。


じりっと後ろに後ずされば、
テラスに設置されている手すりに身体が触れた。
くっと息を飲んでから背後を見やれば、
さっきまで見ていた街灯の明かりが遠くに見える。

逃げ場はねぇよな・・・。

錬金術を使えば容易くこの場を回避できる。
しかし、そんな事をすれば潜入捜査は失敗するだろう。

どうすればいいんだ?


「君はもう主人とは寝たのかい?
 まぁ、そんなに主人を思っているなら、そうなのかな?」


ニヤニヤ。
気持ちの悪いことこの上ない。

後ろに下がれないエドワードをよい事に
男はさらにエドワードにじりじりと近づいていく。


「人形が主人から離れたとみなされるのは、
 新たな主人が人形に手を出した時なのは…知っているね?」


視線がエドワードの足下から頭の先までを
舐めるようにして動く。
その動きにさえ、エドワードは嫌悪感を抱かずにはいられない。

どうしようと考えているうちに、
男は面前まで近づいている。



「おや、ずいぶんと楽しそうなことをしているね」




【オーディ珈琲店 15 】


どうやって逃げようかと算段していたところで、
やけにゆっくりとした聞きなれた声が耳に届いた。

恰好をつけているのか、
テラスへと通じるガラス張りの戸に背中を預けて、
そこに立っていたのは紛れなくロイ・マスタングだった。


「あなたはっ!」


人形の持ち主だと思っている男が現れたからなのか、
口説き落としている場面を目撃されたからなのか、
目の前のニヤニヤとしていた男の顔が強張り、
顔が戸口に向けられたことで隙ができた。


テラスの手すりを回りこむようにして、
男の面前からエドワードは抜け出す。
足にまとわり付くようにして揺れるフリルのスカートに
やはり動き難いなと顔を顰めながら、ロイの元へ行く。


なんだこいつ。


トトっと走りこんで彼の元にいくと、
なんだと思うくらいの笑顔で手を広げて待ち構えていやがった。

若干、引き気味に一歩躊躇する。


「あぁ、可愛らしい私のエディ!!何もされなかっただろうね。
君を一人にしてしまってすまなかった」


大げさ過ぎる程の言い回しをされて、
エドワードは素に戻りかけていたが、これが演義なのだと
再認識させられることになった。


不本意ながら。
ひっじょ〜に不本意ながら、彼の伸ばした腕の中に入り込む。


「私のために怒ってくれて嬉しいよ」


耳元でそんなことを囁かれたが、
エドワードは一瞬訳が分からなかった。


「君の可愛らしい台詞も聞けたし、フュリーに感謝しなければ」


抱きこむようにして囁かれる言葉に、含んだ笑い。
指で指し示された腕の中にいたピンクのウサギ。


「これっまさかっ!!」


オプションにただ持たされているだけなのだと思っていた
ピンク色のウサギのぬいぐるみ。

しかし、実際は盗聴器でもしかけられていたのだろう、
つまりは会話のすべてをロイが聞いていたことになる。


ということは、
大佐がいないからどうでもいいやと思って使っていた

「大丈夫ですわ」とか。
 
「ほほほっ」とか。

・・・・・・。

最悪なことに、
「取り消せっ!」と怒鳴ったことまでも、
彼に筒抜けであったということで。


そんな諸々の事を途端に理解して、
赤く上昇する顔をエドワードは抑えることができなかった。


「おや、逃げてもらっては困りますね」


自分の事で一杯一杯になっているエドワードを他所に、
ロイが捉えている目線の先には、
会場に戻ろうとしているエドワードを口説いていた男の姿があった。


「私のモノに手を出そうとした報いは受けてもらわなければ」


ロイがパチリと指を鳴らすと、
そこからは一瞬の出来事であった。


ネオンが一瞬消えたかと思うと、
ガサリという音が響き、バタバタと続いた音と男の声。
エドワードが何事だと思う隙もなく、ネオンが戻った頃には、
全く何も無かったように、元通りになっていた。

テラスから消えた男の姿以外は。


「丁度、証拠書類の他に証言も欲しかったところだ」


彼にはたっぷりと尋問を受けてもらうことにしよう。
一瞬の暗闇の後で、何事も無かったかのように流れ出した
優雅な音楽を背にして、
ロイは腕の中にいるエドワードに胡散臭い笑顔を向けそう言った。



拍手ありがとうございました。