「ママにお別れをしようね」とパパが言い、
一本のお花を渡してくれた。
その花は、公園の花壇にあったお花と一緒で、
ママが「きれいだな」と言って笑ったお花だった。
その日は朝から知っている人や知らない大人の人がたくさん家に来て、
私が着ている幼稚園の制服のように、
みんなが同じような黒い服を着ていて、白いハンカチを持って泣いていた。
私とパパは2階のお部屋に居て、
パパは私に黒いワンピースを着させてくれた。
ずっとクローゼットの中に買ったまま箱に入れられていたワンピース。
袖口と裾にレースがついていて、
私はピンクのワンピースが欲しかったのだけれど、
この色も大人っぽくていいかと思った。
けれど、いつも服を着させてくれるママがいなくて、
私の髪は櫛で梳くだけで、2つに結んだり、リボンをつけたりしていない。
パパは髪を結ぶことができないからだ。
ワンピースと一緒にしまわれていた黒いリボンがあったのだけれど、
リボンは髪に結ばれることなく、そのまま箱に入れられてクローゼットの中に戻された。
ママが服を着せてくれた時とはどこかが違っていた。
いつも新しい服を着たら、
「可愛いね」とパパは必ず言ってくれた。
私を抱きしめたまま立ち上がり、スカートの裾がヒラリと舞うようにクルリと回ってくれる。
私は遊園地みたいなそれが大好きだった。
「服が皺になるじゃん」とママはいうのだけれど、
その声は怒った時の声とは違っていて、
「まったく」と言いながらそれでも笑ってくれていた。
でも、新しい黒いワンピースを着ても、パパはそれをしてくれなかった。
「パパ?」
パパを呼ぶと、パパはベッドに腰掛けて、
こっちにおいでと言った。
パパの声は酷く掠れていて、何故だか泣きそうになった。
パパは私の肩に頭を乗せて、きゅっと私を抱きしめた。
黒いワンピースに皺が寄ってしまうと思ったけれど、
私はパパの頭を小さな腕の中に抱きこんだ。
パパは少しだけ息をすってから、
静かに私に言った。
「ママは・・・・・・もういないんだ。
寂しいけれど、ママにお別れを言おうね。
今日はそのために・・・みんな集まってくれたんだよ」
「もう会えないの?」
「・・・・・・・・・会えないんだよ・・」
私は嫌だと叫びたかった。
だって、私はママに会いたい。
お別れなんて言いたくない。
でも、パパはもう1度腕に力を込めて、
「パパも・・・・お別れはいいたくないんだ」と言った。
先に「言いたくない」と言われたら、
「嫌だ」と言えなくなった。
だから、私もパパの頭をきゅっと強く抱きしめた。
それが答えになると思ったからだ。
みんなが泣いていたけれど、私は泣かなかった。
だってパパが泣いていないから。
パパが泣いたのは、ママが死んでしまったあの日だけ。
それは私とアル君だけが知っていること。
それが「お葬式」の日。
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「お葬式」が終わったばかりの頃はまだ人がたくさんいて。
ごはんも作ってくれる人がいて、みんなが気遣ってくれているのが分かった。
暖かいシチューやパイやケーキもあった。
お隣さんやパパと同じ仕事の人とかがたくさんもって来てくれた。
でも、ママと同じ味のものは一つもなかった。
けれど、しばらくして、その人たちが家に来なくなって、
家の中にパパと2人だけになってから、とても静かなことに気がついた。
パパがお店から買ってきたおかずはいつも少し冷めていたし、
スプーンやフォークの音だけがすごく大きく聞えた。
ママがいないだけなのに。
ご飯を食べる時は、いつもいろんな話をしていた。
ママと買い物について行った時に見つけた美味しそうなケーキ屋さんのこと、
庭に植えたお花のことや2軒隣の猫が子どもを産んだこと。
パパはいつもそれを笑って聞いてくれていた。
今度お土産にそこのケーキを買ってこようとか、
お花の咲く季節とか、猫の毛色の話とか。
そんな話。
思わず涙が流れそうになって、
あわてて唇を強く噛んだ。
泣いちゃいけない気がしたから。
喉の奥がヒクリと震えて、息が吸いにくかったけど、
パパに気づかれてはいけない。
その頃のパパはすごく忙しかったと思う。
毎朝とても早くに起きて、
私のお弁当を作り、朝食用のパンを焼いてスクランブルエッグを作ってくれた。
保育園へ行く準備を手伝ってくれて、
パパの仕事用の服に着替えながら、洗濯をして片づけをして。
パパのお迎えが来る時間は少し早くなっていて、
玄関のベルが鳴る時までに朝の準備が終わったことはなかった。
保育園へのバスは毎朝あるのだけれど、
私はそれに乗れなかった。
「ぼうえいじょうのもんだい」らしい。
パパは軍のえらい人だから、パスに私が乗ってしまうと危ないのだそうだ。
だから、いつもはママが送ってくれていたけれど、
今はパパと一緒に車で送ってもらっていた。
私はパパに何かしてあげられるだろうか。