鋼の砦 17

目の前の白いベッドは病人の為に設えられたもの。

 

白を基調とするその部屋は清潔感があるが日常の生活感は全くない。

静かなその空間は、されど小さな寝息が聞こえ、

その主が見た目よりも安らかであることにひどく安堵した。

 

その白いベッドは小さく盛り上がり、

布団の中からは黄色い頭が少し覗いている。

 

深夜に見たその寝顔よりは、ずっと柔らかなものだと思うが、

それが「彼」から「彼女」へと認識が変わった為なのかは定かではなかった。

 

 

 

バタバタと駆け込んできた執務室に現れたのは、

咥えたタバコを落とさんばかりの慌てようのハボック。

 

「中尉はいますか?」

 

と慌しく問うと、中尉の手を掴んだまま、

その扉を再び飛び出して行った。

 

同僚たちは、「告白か?!」などと騒ぎたてていたが、

その表情はそんな雰囲気を醸すものではなく、小さく呟かれたその言葉に

自分は慌てて彼らを追った。

 

そう、

確かに「エドワードが!!」

と彼は中尉に向かってそう語りかけていた。

 

あの慌てようと、彼らが向かう場所に検討が付けば、

何かあったのかと問うよりも、その場に向かう方が的確であるだろう。

 

彼らが向かっている場所は、

明らかに医務室であった。

軍の医務室は、大量の患者が運び込まれることを想定して

他の部署とは離れた別棟にある。

有事の際に混乱をきたす恐れがあるためである。

 

だからこそ、そこを目指しているならば、その目的はただ一つ。

医務室に当たりをつける他はない。

 

前で二人が何やら話しているようだが、その声は大きな靴音に消されて

ここまでは届いてこない。

顔色を曇らす中尉の表情だけが見て取れて、自分に言いようの無い不安が襲う。

 

(エドワードに何かあったのか?)

 

彼が深夜に眠れず、酷く魘されていた事を知っている。

その事を知っているのは、自分と前を走る男のみで、

その事実はさらに不安を煽る。

 

震えて耐えていたのは、過去への恐怖だけでは無かったのだろうか。

 

彼は、大変な痛みを伴うという機械鎧の手術を受けている。

そのリハビリは想像を絶するもので、大人でさえも耐えられない者がいると聞く。

小さな子どもの体で、精神的なダメージを残したままそれを一年間という短期間で

終了させたと言った、彼には大きな負荷がかかっていたのかも知れない。

 

大人を威圧的に睨んでいるその顔が浮かぶ。

決して弱さなど見せないという言葉の無いそのアピール。

たとえ激痛を要していても彼はその姿を自分たちの前には晒さないのだろう。

 

(・・・っ!!)

 

悔しいと思った。

ここまで来いと、言った自分の下に

確かに灯した焔を宿してそうしてやって来た。

にも拘らず、自分には弱さを見せないと。

 

唇を堅く噛んで、そうして激情を抑えていく。

「ハボック!!」

医務室の前で呼吸を乱すことなく立っている部下を呼びつける。

まずいなと言わずとも顔に表すが、横に中尉はいない。

 

「中尉は?」

「なかっス」

 

親指で医務室を指し示し、どこで捨てたのかタバコは咥えられていない。

呼吸の乱れが、デスクワークの多さと比例しているならば、

もう少しトレーニングを強化すべきなのだろう。

 

「何があったか言え」

 

自分でも驚くほどに声が低くなっていた。

しかし、ハボックはそれに怯む様子は見せず、いつもの飄々とした様子を崩さない。

 

「あぁっと。・・・・言えません」

手を横に広げて降参のポーズをとっているにも関わらず、拒否の言葉を言ってのけた。

 

「なに?」

「取り合えず、中尉が中から出てきて聞いてください。

 俺の判断で言っていいことじゃないんっスよ・・・」

 

睨みつけたが、その答えはあまり変化しないようだ。

中尉のみが医務室にいて、そうして何をしているのか。

ここの責任者は私で、さらにエドワードの後見人にもなろうと言うのに、

その自分に話せず、中尉の判断に委ねるというのはおかしいのではないだろうか。

 

「ならば、これに答えろ。エドワードは無事なのか」

 

「・・・はい。」

 

ハボックは少しだけ目を大きくして、ゆっくりとそう答えた。

それだけでも、今までの重い不安が少しだけ溶かされたようで、

無事ならばよいとそう思うことにした。

 

肩を堅い扉に預ける。

ハボックはその後一言も話さず、自分も横で腕を組んで待った。

軍人二人が医務室の前で並んでいる光景はあまりいいものではない。

別棟であるから人通りは少ないことが有り難かった。

 

どれくらいそうして待っていたか、キィと軋んだ音がすれば

ホークアイ中尉が中から出てきたところだった。

 

「中尉!?エドワードは?」

声を出せば、中尉は人差し指を口に当てて、静かにしろとジェスチャーで伝えた。

「今、眠ったとこですので、お静かに」

いつもよりも小さな声でそう言い、場所を変えましょうと歩き出した。

 

「あっ、ハボック少尉は扉番をお願い。」

 

自分よりも何かを知っているのであろうハボックはそのまま了承して、

扉の前から動くことはなかった。

 

 

 

小さな会議室には男女二人だけであるのに、甘い空気など全く無く、

自分もそんなことより早くエドワードがどうして医務室になどいるのか

その真相が知りたかった。

 

 

「大佐。私たちは、酷い過ちを犯しました。」

 

いつも厳しい瞳をしているが、その瞳が揺れる。

慎重に言葉を選んでいるのだろう彼女は、ゆっくりと紡いでいく。

 

「私たちがエドワード君と出会った時に、大佐は道を示された。

 その言葉どおり、彼は今、ここにいます。」

 

「あぁ、それが一体なんだというのだね。それが過ちだとでも?」

 

机の上で組まれた腕を強く握り直したのに気付く。

彼女は一体何を言いよどんでいるのだろう。

 

「代償に様々なものを失った子どもに、軍の狗になれと現実を見せられた。

 彼はそれに答えて、その資格試験に臨んだ。

 彼の実力ならば最年少国家錬金術師誕生となるでしょう。」

 

「だから、何がいいたいのだね!」

 

全く、堂々巡りだと思った。

自分が聞きたいのはエドワードの病状であり、

今すぐにでも医務室でその状態を知りたいというのに。

その判断を聞けと部下に言われ、その部下からは全く確信に触れられない。

くしゃりと髪をかき上げながら、求める答えを言わない彼女に問いかける。

 

「確かに、彼には酷だったかも知れない。その機械鎧のせいで彼は倒れたのだろう?

 しかし、彼らが求めるもののためには、それが最も近道だと。そうだろう?」

 

ともに真実を知っているのに、今更何を言うというのか。

過ちだと糾弾するというならば、あの時にすればよかったのだ。

子どもに軍の狗になれと言うのかと。

彼らの故郷であるリゼンブールのあの地で。

 

 

「・・・小さな子どもが、機械鎧の腕と足を持って、

本当にあるのかどうかも分からないものを

 失いかけた家族の為に必死になって取り戻そうとしている。

 そのために、国家錬金術師の資格が必要だと言うならば、そのことに異論はありません。」

 

「ならば!!」

「しかし!・・・私には辛すぎます」

 

「中尉・・・?」

 

「僅か12歳の・・・少女が、その体に機械鎧を付けて、痛みに耐える姿なんて。」

 

俯いてそう溢す中尉の声は、ひどく弱々しかった。

 

「少女?」

「・・・エドワード・エルリックは、女の子です。

 今日、初潮を迎えたようで・・・ひどく怯えていたので私が処置いたしました。」

 

 

 

人払いがされた医務室は、静まり返っている。

中尉に聞かされた時、正直嘘だろうと、冗談はやめろと言いたかった。

 

しかし、彼女がそんな嘘を言う人物ではないことを分かっていて、

彼女の様子からは、少女のことを心配する同性としての痛みが伝わってきた。

 

痛みが激しい様だったので薬を処方したらしく、

今は穏やかに眠っている。

 

あの夜の慟哭も、今までの睨んでいたその瞳も全く無かったように。

 

僅かに覗く金色の髪を梳けば、サラリと自分の手から零れ落ちた。

男の髪ではない、女のもの。

覗く肩は小さい。

 

言われて気付くには遅すぎるその真実。

 

男だから、女だからと差別するような気は更々無い。

 

 

しかし、この少女は、性別を偽り男の格好をして

無くなった体の代わりに機械の腕と足を持って。

 

そうして、決して優しい道ではないと知りながら、前を睨み続けるのだろうか。

大人の手など借りないと、虚勢を張って。

 

辛すぎると言った中尉の言葉が、今、分かった。

鋼の砦18