ズキリと下腹から鈍い痛みが走る。
体の奥から、まるで叫ぶかのように痛みが走る。
「・・・エドワード?」
段々と覚醒する意識の中で、優しく響く声を聞いた。
何だろうと思う。
呼びなれた弟は、自分を名前で呼んだりはしない。
こんな風に、優しく枕元で名前を呼んでくれたのは。
呼んでくれたのは?
「かあさん?」
ゆっくりと瞼を開く。
とても重く感じられたけれど、その優しい顔が見たかった。
細く白い手は、いつも良い香りがして、
そこから作り出される暖かなものは、全て自分を幸せにした。
ねぇ、母さん。
優しい貴女ともう一度会いたいのです。
・・・うん。
違うって分かってた。
だって、自分は失った母を知っているから。
そんな都合の良い勘違いをしては成らないと警笛が鳴る。
その為に失った弟が見ている。
目の前に現れたのは、
細いブラウンの緩く結われた髪ではなくて、
白いエプロンをしたその姿ではなくて、
深い深い夜の色をした黒髪と
突き抜けるような青空の色をした軍服を着た男だった。
堪らず溢れそうになる涙を耐える。
そう、これが現実。
自分はこれから糾弾されるのだ。
たった一つ示されたその道を取り上げられるのだ。
虚偽報告などしていなかった。
男だと記入した覚えも、言った覚えもない。
ただそちらが勘違いしただけのこと。
でも、それを自分は正そうとはしなかっただけのこと。
そんな言い訳がこの人に通用するだろうか。
「ふざけるな」と怒鳴られるだろうか。
どちらでもいい。
どんな罰でも罪でも重ねていく覚悟など出来ている。
弟を取り戻すと決めたその時に。
伸びてきた手に体が反応する。
ビクリと肩を揺らしてみせた。
殴られると思ったその手は、サラリと自分の髪の毛を撫でた。
「女の子だったのだね」
「あぁ」
低くそれでも優しく響くその声色は、
触れる手にも似て暖かかった。
顔を見ようと思ったけれど、
どれだけ眠っていたのか、顔が分からないほど部屋は暗くなっている。
彼は怒っているのか、呆れているのか。
こんな女だとは思わなかった自分を国家錬金術師に推薦した彼は、
上の地位を狙っているのだと聞いた。
つまりは、どんな些細なミスもその道を阻む危険要素となる。
それなのに、大総統の前で国家資格の受験を行い、
良くも悪くも目立つ存在となった自分の後見人となろうとしていたのだ。
「国家錬金術師は諦めなさい」
そうだな。あんたの迷惑になる。
自分の進む道にある危険要素は排除したらいい。
「あんたに迷惑が掛かるなら、別の後見人を探すよ。
別に虚偽報告をしたわけじゃないんだ。女と分かったとしても何度でも試験を受けるさ」
よいしょとベッドの上に座り直して、
痛む腹をないことにして、やれやれと言いたいように手を肩口に上げ、
安っぽいジェスチャーをして見せる。
あんたはこんな駒切り捨てればそれでいい。
自分など手に入れなくとも、優秀な部下が居ることは良く分かったから。
散々な態度を見せたけれど、
決して子どもに手を上げなかった軍人は嫌いじゃないよ。
ふんぞり返って、自分の能力の無さを言い訳にする奴なんて
あんたの部下には1人だっていなかった。
子どもの声に従うのは、どれだけ嫌だったろうに。
それを仕事と割り切って、それでもやれ食事に行こう、昨日は眠れたかなんて聞いてきて、
ほっといてくれたらいいのに。
優しさを受け入れれば、自分は立ち上がれないから。
弟だけを見続けられれば、それでいいんだから。
「悪かったな。明日には、大総統に自分から申し出るから。」
あんたに迷惑は掛けないよ。
文献の等価は、捜査協力。
女だと見抜けなかったあんただって間抜けだったのだから、
それくらいは多めに見て欲しい。
自分の足でここを出て行く。
あんたに迷惑を掛けないのは、
この道を示してくれたことと、そう。
あのシチューの等価。
暖かい母さんの味に良く似たあのシチューの等価に。
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鋼の砦 18 | ![]() |
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