「ちっ」

 

思い通りにいかない体に嫌気が差す。

どうしてこんな時に、自分が女だということを知らせられなければならないのか。

立ち止まってなどいられない。

進むためには自分など捨てても構わない。

 

 

歩いた事のない夜の道は、どこまでも寒々しい。

家からの明かりや、電灯の明かりはあるが、それですら寒さを連れてくる。

 

自分の故郷は。

こんな整った道ではなかった。

ましてや電灯などというものも駅に2つあるだけだった。

家々もまばらで、こんな風に明るい夜であったことは無いだろう。

 

でも。

 

暖かかったように思う。

こんな風に疎外されるような気持ちにはならなかった。

どんなにデコボコとした土のむき出しになった道でも、

学校帰りに弟と手をつないで帰った道だった。

 

真っ暗な夜であっても、

星の瞬きはこんなニセモノの明かりよりも綺麗だったし、

ぼんやりとした月明かりは優しかった。

 

 

自分など突き放せばいいだけなのに、

それでもあの大佐は自分に「休め」と言った。

 

帰る場所などないと言ったのに、ここで「休め」と。

頼る大人などいないと言ったのに。

 

たまらず自分が惨めになった。

 

どうせ何も出来ない女なのに、無茶な事ばかりを口にして、

そして倒れて誰かの世話になるのだろうか。

 

そんな事を許せないのは自分自身だ。

 

ここに居てはいけないと思った。

「人払いをさせる」と大佐は言ったけれど、

それは、「誰かに見張らせる」という事。

 

女であるというマイナスファクターをこれ以上露見させない為。

知らなくてもいい情報を外部に漏らさない為。

 

当然だ。

自分は彼らの足を引っ張る存在だと理解されたのだから。

 

それでも「帰れ」と言ったその言葉に従う気などない。

自分には成さなければならない事がある。

 

虚偽報告はしていないが、訂正もしていない。

それが自分にどう影響するかは分からないが、

それでもここで引き下がる訳にはいかない。

 

男になれと言うならなってやろう。

軍に頭を垂れろというならそうしよう。

 

けれど、譲れないものがある。

 

絶対に取り戻してやると誓ったあの言葉だけは、

自分で違えることなど許しはしない。

 

 

動く度に胎内からツキンとした痛みが走る。

 

これから付きまとうことになるだろう血の匂いでクラクラする。

ドロリと溢れ出して来るその存在は、

 

まるで自分の罪の塊。

 

忘れるな。

忘れるな。

そう攻め立ててくる。

逃れることなど遠にできないと知っているのに。

 

 

 

「ここなら、一晩ぐらい過ごせるだろう・・・」

 

そうして、たどり着いたのは倉庫。

全く皮肉な事だけれど、東方司令部に滞在していた時に知った地理と言えば、

司令部内部の事ばかり。

外に出ても駅の場所ぐらいしか検討が付かない。

 

そうして、思いついたのが、鉄道第三倉庫と書かれたこの場所。

 

いくつかテロリストの暗号を解読していく中で、

「これらはダミーだろう」と大佐が判断した物があった。

 

地図を見れば、なるほどその意味が分かる。

 

爆破した所で大した被害など期待できないのだ。

周りに民家も軍の主要施設もない。

困るのは鉄道関係者のみだろう。

 

「ここには、見張りの者も常駐してはいないし、

 たとえ爆破されたとしても被害は無いに等しい」

 

その時は「ふーん」と聞き流してはいたが、

軍の内部から抜け出して一晩の宿として間借りするには丁度いい。

 

大佐の言葉から監視している者はいないようだし、

誰かに通報されるという心配も辺りの静けさからして大丈夫そうだ。

 

鉄道倉庫と言ってもあまり使われていないのか、

コンテナが幾つか乱雑に並べられ、容易く進入することが出来た。

 

これなら、見張りなどおく必要もないだろう。

金目のものなど無いどころか、人件費の方が遥かに高くつくだろう。

 

ホコリっぽい建物の内部は閑散としていて、

当然の事ながら人気などなかった。

 

ようやく、ホッと息を吐けば、思い出したようにツキンと腹が痛む。

少し段になっているところに、重ねられていた新聞の束を見つけた。

きっと配達用の荷物であったものが、

手違いで倉庫まで運ばれ日の目を見なかったのだろう。

 

麻の紐で束ねられたそれを、解いて並べていく。

ホコリが舞うが、口元にコートの端をあて、パタパタと払い落とす。

ようやく寝床らしきものが出来上がり、横になろうと段に腰掛けた。

 

 

その時。

 

 

ガタンと音が響く。

鉄筋のその構造らしく、響くという表現のそのままに、

グワンと音が反響していく。

 

誰もいないだろうと思っていたのに、

ここを勝手に使用している自分が悪いのだが、

大佐にガセネタを掴まされた気分になってくる。

 

とにかく、見つかってぐたぐたと説教をされても面倒だ。

つくり終わった新聞の寝床はそのままに、

コンテナの陰に身を隠す。

 

早く作業でも何でも終わらせて、さっさとここを去ってくれる事を願う。

自分でも分かりたくないほどに体は休息を求めていて、

貧血気味の頭はどんよりと重たい。

 

 

「おいっここなんだろうな・・・」

「あぁ、地図では」

 

隠れたコンテナまでひそひそと声が響いてきた。

男の声であるが、どうもおかしい。

ここの作業員であるならば、声を小さくする必要もない。

 

変な会話の真意を確かめるために、

ひょこりとコンテナからその姿を覗いてみた。

 

・・・・

 

明らかに、作業員でない。

 

男は二人連れで、1人はスーツだろうか、暗くて色までは分からない。

そしてもう1人は、白衣を着ていた。

暗い内部であっても異様なほど白く映ってしまっている。

そして、手に持っているケースからはピョンピョンとコードが跳ねている。

 

 

あぁ、こいつらテロリスト。

 

なんだろう、自分はテロリストなんて見たことは無いのだけれど、

そう思わせる何かがあったのか。

分かり過ぎるほど、よく分かってしまった。

ある意味問題ではあるのだろうが。

 

「お前が考えた暗号だろう!」

 

ご丁寧に暗号を書いたと言ってくれている。

あぁ、こいつが考えた本人か。

ここに解読した本人がいるのだけれど。

 

「うるさいっ俺の得意分野は物質の融解温度の定理だ。

 お前のお頭じゃ理解できないだろうがなっ!!」

 

ケンカ腰だが、声はぼそぼそとしたままだ。

得意気にスーツの男は白衣の男に物質の融解温度の定理とやらを披露している。

 

・・・こいつ間違って覚えてる。

あぁ、そう言えば、その解読の時にどうしても繋がらない箇所があった事を思い出す。

定理そのものを間違って記憶している者の作った暗号ほど

解読の要点は難しい。

なにせ、正しいと思っているそのものが間違っているのだ。

そこから何を導き出せるというのか。

 

飛び出していき、その定理の修正をしてやりたいが、

出でいくのが億劫なほどに体が重い。

 

 

「あぁ!!分かったからっ。お前の定理ぐらいに私の爆弾もすごいんだ!!!

 これなら、この倉庫ぐい吹っ飛ばせる」

 

「おぉ!!!」

 

自分の定理をすごいと認められたからなのか、

スーツの男は白衣の男の爆弾に素直に感嘆の声を漏らしている。

 

 

何だが、この倉庫も今晩の寝床に適さなくなってしまったらしい。

どうせなら、寝床を作ってしまう前に現れてくれれば良かったのに、

無駄働きはこんな状態でそうできるものではない。

 

取りあえず、こいつらの逮捕は

自分に出来る無駄働きの範囲を超えていることは確かなので、

早々にここから立ち去ろう。

行くあてはないが、爆発に巻き込まれるよりは野宿の方がましである。

 

 

コンテナの陰を辿っていけば、侵入口から外に出られるだろう。

男たちの気配に気を配り、その足を外へと進ませた。

鋼の砦 22
鋼の砦 23