「アルフォンスって言うのか・・・弟よ」

 

再び腹が痛み出したと、訴えるのではなく、仕草でそう現していた少女を

男たちは中尉に任せてから、その部屋を後にした。

 

大佐は、事件の書類にミスが無いか確認してくると、一人監査部に出向いたので、

動くたびにガションと音を響かせる弟を引き連れて、

休憩室に足を運ぶ。

いろいろな事が起こり過ぎて1人で休みたいと思ったが、

それでもしょんぼりと肩を落としているように見えるこの鎧を1人にする事は出来なかった。

 

「・・・あの、姉さんは」

「うん?」

 

軍服からタバコを取り出して、一本をトントンと叩いた。

執務室では少女の体を気遣ったこともあり、また、緊迫した状況だった為に、

その一本を吸うことが躊躇われた。

 

シュッとライターを擦った所で、そう言えば、目の前の鎧もまた、

未成年だし、見た目が厳つい鎧だとしても、吸って良いのかと悩んで手を止める。

エドワードの弟だというなら、12歳以下であるのだろうし。

 

(・・・とりあえず、お預け・・・か?)

 

火を点けるのを止めて、ただ咥えるだけに留めた愛用の銘柄。

目の前には、巨大な鎧。まったく考えられないが、あの少女の弟で、

必死に呼び止めようと叫んでいた「アル」らしい。

 

 

何を失い、何を取り戻そうとしているのか?

分かることはないが、それでもしょんぼりとしている仕草は、歳相応に見える。

ガションと動くたびに、金属の音がして、

不器用そうに見えるその指先で、もじもじと親指と人差し指を動かしている。

 

「姉さん・・・は、危ないことをしてたんですか?」

 

泣きそうだと思った。いや、この鎧の下では泣いているのではないだろうか。

あの剣幕で怒っていただろう「アル」は、姉と離されてとても心細そうだ。

 

「あぁ・・・危険っていうか、突っ走って行ったっていうか」

 

「いつも、そうなんだ。僕は、すぐ近くにいるのに、決して頼ろうとはしてくれない。

 僕は、いつだって・・・・姉さんの傍にいるのに」

 

どうしてだろ。どうしてだろう。

泣いてるだろう鎧は、その声を震わしているというのに、

命の暖かさがない。

目の前のその奇妙さは、酷く気持ち悪いが、それでも目を離してはいけない気がする。

一言、そんな事を言ってしまえば、この鎧は今にも崩れ出して、

バラバラになってしまうのではないだろうか。

そんな危うさがあるのだ。

 

それは、またあの少女の危うさに似ていた。

変なところで、「姉弟」の共通点を見つけてしまった気分だ。

 

「でも・・まぁ、年上なんてそんなもんだろ。心配なんて掛けたくないもんさ」

 

「そうでしょうか」

 

「あぁ、俺だって下に兄弟はいるけど、頼られても、頼ろうとは思わないしな」

 

「でも、僕のいるのは「兄さん」でなくて「姉さん」です。

 守りたいと思うのは当然です。突っ走ってばかりの姉を心配するのが弟です」

 

この姉弟は、とても依存性が高いのかも知れない。

それは、エドワードが漏らしていた母親への謝罪と関係があるのかも知れない。

互いに必要としていて、互いを守りたいからこそ、すれ違っている。

 

「それに、性別を偽るなんてそんなこと知りませんでした」

 

性別を偽ってその旅をするのは、仕方ない選択と言えた。

この時勢、そうしなければ、危険は倍増してしまうだろう。

 

しかし、彼女は国家資格を有しようとしている、つまりは軍属予備軍である。

それならば、身元証明はきちんとしなければならないし、書類の偽造は間違いなく罰せられる。

あの上官がその事をどう考えているのかは分からないが、

後見人である彼が、その事実を知っていながら黙認することがあるだろうか。

あの頂点を目指すと言う野望を持っている彼は、足を引っ張るだろうこの事柄を、

そのまま見過ごす事は・・・ないと言っていいのではないだろうか。

そうしたら、あの少女はどうするだろう。

 

弟の反対。

軍からの反対。

 

どちらも簡単に跳ね除けられる事ではない。

この姉弟がどんなものを探さなくてはならないのか分からないが、

それでもその道が簡単では無いことは事実だ。

 

(叶えてやりたいとは思うが・・・それでも、俺は軍人だから)

 

馬鹿げているかも知れないが、自分はついていくべき上官を既に見つけた。

軍人は人を守るもの。民間人の命は最優先に。

そんなことは、詭弁であると知ったのは、士官学校で上官に叩かれた時だっただろうか。

目の前に軍の司令官と民間人がいて、銃弾が飛んできたならば、自分はどちらを助けるか。

 

答えは、司令官。

たとえ倫理的にどう考えても、戦闘要員ではない民間人を守りたいと思ったとして、

軍では司令官を守れと叩き込まれた。

目指したモノがこんなモノなのかと田舎に帰りたいとさえ思ったが、

それを変えたのは、今の上官。

 

自分の身ぐらい自分で守るから、先の分かる部下でいろと言われた。

そして、最低限自分の始末ぐらいはしろよとも。

 

あぁ、この人は、馬鹿な軍人の中で、きっと一番馬鹿なのだろうけれど、

それでも人としてはきっと間違っていないのだと、そう感じたのだ。

あまりに唐突ではあったけれど、この人の下でならば軍人を続けてもいいと思ったのだ。

 

この目の前の厳つい鎧の少年に、きっと手を差し伸べてやるのが大人で、

その見つからない物を探してやりたいと思うのが当然なのだろう。

けれど、自分は。

 

「性別を偽ったとして、それが露呈した時に叩かれるのはエドワードだ。

 その時に、どういう事になるか、考えないと進めないと思うぞ」

 

それが、この鎧の少年にどう聞こえたかは分からない。

気のいい兄のようにして接してやりたいとは思うが、自分は軍人。

付くべき上官はすでにいる。

 

言った言葉は半分嘘だ。

性別詐称が露呈して、確かに困るのはエドワード。

しかし、それ以上に窮地に立たされるのは、自分の上官、ロイ・マスタング。

彼が見つけて、彼が推薦したその人が、

まさか女でしたと。知っていて黙っていたとしても、もとから知らなかったとしても、

大して罪に違いはないだろう。

そして、さらに上の者には、彼を貶めたいと考えているものが多くいて、

小さな隙すら逃さないと必死になっている。

 

この弟が姉の身が危険だと分かって、素直に姉に従うとは思えない。

その感情は、少ない時間であっても、十分に理解できるほどで、

それを利用してしまおうと考えている自分は、とても醜い。

 

けれど、それは。

 

上官の為だなどときれい事をいう訳ではないけれど、

「先の分かる軍人」というものがどんなものであるのか。

上司に掛る火の粉は、最小限に食い止めなければならない。

 

鋼の砦 27
鋼の砦 28