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鋼の砦 32 | ![]() |
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ガションガションと金属の擦り合う音がする。
それは、ここ最近聞きなれたと言っていい音であった。
ぼんやりとそれでいて確かにその音の主が想像できて、これからどう説得していいものかと頭の中で巡らせる。
「じゃあ俺は仕事に戻るから」とあっさりとブレダは持ち場に戻っていったし、ここには自分しかいない。
それでも聞えてくる金属の音。
「まぁ、腹を括りますか」
意を決して外に続く渡り廊下を目指す。
廊下の端から中庭に出られるつくりになっていて、
気温は寒さを伝えてくるが日が差し込んでいる外は閑散としている軍内の廊下よりも幾分温かそうに見えた。
「おぉ〜い・・・弟・・・・よ」
ハボックは開いた口が塞がらないという、半ば漫画で表現されるような表情を作るほか無かった。
目の前で繰り広げられている光景にそうする以外にどう受け入れていいのか分からなかったからだ。
カシャングワンと響く金属の音は、1人で奏でられている訳ではなかった。
もっと言うならば、中庭にいるのは弟だけではなかった。
響いていた音はふと止まる。
それは小さな少女と目が合い、こちらの存在に気が付いたからだと思われる。
そんな姉の様子を不審に思ったのか、弟も構えていた姿勢を直し、後ろに振り返る形でこちらを見た。
「あっハボック少尉」
「どうもいい天気ですね」と続きそうな声音で話しかけてくる。
素直な子どもなのだろう。先程までのしょげていた様子は既に無くなっている。
「おいっアル!!」
こっちに来いと弟を軍人から離そうとする姉に対して、
「もう、ねえさ・・・兄さんったら、少尉に失礼だよ」と今度はすみませんと鎧は頭を下げた。
「僕ちょっと少尉と話があるから、兄さんは休んでてよ・・・まだ本調子じゃないんだし」
さぁ行った行ったと姉に対して無骨な鎧の指が指し示したのは日の当たる場所に用意されているベンチだった。
クルリと弟は振り返ると「さぁ行きましょうハボック少尉」と言って自分を連れて廊下側に進んでいった。
弟は完璧に姉の視線を無視していたが、こちらは言葉を雄弁に伝えてくるエドワードの視線に目線を流した。
「弟に何かしたらただじゃあ置かない」という視線に。
まだ高い少年の声は鎧の中を反響して響く。
廊下に近い第2会議室はエドワードをまだ少年だと思い、
疑っていなかった時に彼の才能をまざまざと見せ付けられたあの場所だった。
狭い会議室の整理された椅子をどかして、鎧の弟が窮屈にならないように設置し直す。
通常、長机に三脚用意されている椅子の2つをどかして、1つだけ残す。
横幅を気にせずに鎧が席に着くことができるようにという配置だった。
しかし、こちらの気遣いなどまったく無意味だったと気付いたのは、
鎧の身体に軍の小さなパイプ椅子は適したものではなく、1つの椅子に座れないと分かった時だった。
それでも「ありがとうございます」と少年の声は伝え、「少尉は座ってくださいね」と着席を促された。
会議用のコの字型になっている席に向かう合うように自分は座り、鎧は目の前に立ち尽くす形で対峙した。
「話すことがあるから」と姉と別れたのだから、弟が話し出すのを待とうと思っていた。
しかし、その場の雰囲気はいくら時間がかかったところでこの状態から変わるものではないだろうと語っていた。
動かず、声も発しない鎧はまるでそのままの状態でそこに居続ける(居るというのか在るというのか)のかも
知れないと思われた。
「あっ・・・と、俺に話したいことって何だ?」
まるで独り言を少女がぬいぐるみ相手に話しかけるようだと思い苦笑いを浮かべる。
自分の考えが乙女チックであったことと、その状況を的確に表していると思ったからだ。
だから、鎧が小さく動いた時には不覚にもピクリと肩が揺れた。
「話があるのはそちらではないのですか?」
小首を傾げて尋ねるように声であるのに、その声はどこまでもこちらの心理を見通しているように聞えた。
この少年を侮ってはいけない。
どこぞの能力が低い、態度ばかりが大きい軍人などよりもよっぽど相手の声に隠されたものを読むことに長けている。
「軍が兄さんを手放す事を渋っているとかそんなところですか?」
確かに自分たちは軍人であり、
手の中に落ちてきた天才を「軍の狗」という鎖で繋ぎ止めようとしているのかも知れない。
しかし、上司はそのような打算ではなく、
言うなれば親愛のような情によって少女の保護を求めているのだと自分は知っている。
全ての軍人が「いい大人」ではないことは事実だが、
全ての大人が「心を持たない」というのは真実ではない。
「違う!!俺たちは便利に扱うためにあいつを軍に引き入れようとしている訳じゃないっ!!」
激昂のままに言葉は口から出ていった。ビリリと周りの空気が震えるが、目の前の鎧は動かない。
目の前にいるのは12歳にならない子ども。そんな事は分かっていた。
外見は無機質な鎧だが、その声と仕草は中にいるのだろう子どもの年齢をこちらに伝えている。
しかし、そんなこどもに何故自分は根限りの声を張り上げて、子どもの発する言葉を受け入れまいとしているのか。
―使える子どもだと思った―
―けれど上司の足を引っ張るとも―
―邪魔になるなら排除しなければと思った―
都合のいい大人の心内を純真な鎧の瞳が打ち抜いていく。
打算を働いていたのは自分だ。
それに気付かれるのを恐れて、大声を上げて、拒否しているだけなのだ。
軍の内部は腐っていると思ったが、その腐った部分に自分も足を突っ込んでいたのだと突きつけられた。
「・・・僕はまだ子どもで何もできないけれど、貴方達よりもずっと・・・兄さんと一緒にいたんです。
僕の為に眠れない夜だって僕はずっと見てきた。
こんな僕が兄さんを守りたいというのはおこがましいけれど、
兄さんが笑ってくれるために僕は兄さんを守る」
「お前・・・兄さんって・・・」
ゆっくりと話されたその声の中に「姉さん」という単語はなかった。
代わりに、まるで決意の表れとでもいうようにして、「兄さん」と紡がれた鎧の声。