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鋼の砦 9 | ![]() |
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「大佐〜失礼・・・します。」
扉の奥から聞きなれた声が入室の許可を求めている。
しかし、その声は普段のどこか人をからかう様な響きを持たず、
酷く疲れた様を表していた。
「ハボックか。入れ」
入室を許可すれば、ドサッという鈍い音の後で、扉を開く音が聞こえた。
それまでは、中尉が全くの雑念を持たず的確に下す統制を聞きながら、
デスクに重ねられた予告状を解き明かしていた。
確かに、一般では見慣れない暗号の羅列であるが、
解読のヒントになるものはそれなりに存在していた。
それに気がつけたものは、それ程時間を要することもないが、
気付けないものは、悔しさを多少感じるものの長く眺めていて改善されるような
類のものではないために、次の予告状へと移し変えた。
いつもならば、許可を出せばすぐに入ってくる部下が
なぜか間誤付いていることに気付き手元の書類から扉へと視線を動かす。
「これっ一応解読済みだから、見てもらえってことらしいっス」
重そうに何かを運んでいるのは、先ほどの部下で、
入室前の鈍い音は、扉を開けるためにそれを床に置いた音なのかと思い至る。
「エドワードの暗号解読か」
渡されたものは予告状の添付された解読書。
それはさすがにハボックが重そうにしていただけはあるようで
文字は雑に見えるものの、幾枚にもなるレポートの様相を呈している。
「おどろいた。これをエドワードが書いたのかね」
「俺らじゃ本の特定すら出来ませんから」
少しの嫌味と、拗ねたようなその言葉に苦笑が漏れるが、
確かにそれは驚くものだった。
ただの解読書ではない。
どこからその解読を導き出したのか、その理由はもちろん
道筋の的確さ、納得させ得るだけの知識の質
そして何よりも
その膨大な情報を読み取り
判断する能力
これが僅か12歳の少年が書いたと言って
どれだけの人間が信じられるだろうか。
「エドワードは?」
「まだ第2会議室でブレダと解読してます。
ブレダは情報収集ですけどね」
頭を掻きながら答える仕草に、これだけの解読をするには
膨大な資料集めが必要だったことだろう。
ブレダに押し付けて、一度逃げて来たであろうハボックを見る。
「エドワードを迎えに行ってくれ。
これだけの知識を持っているなら、一緒に解読した方が良さそうだ」
「なっ!会議室の資料どうするんスか」
「もちろん、ここに運び入れればいい。
私が執務室から動けない以上、他に方法はあるまい?
返事は?ハボック少尉」
「・・・イエスっサー。」
明らかに了承していない顔で了承の言葉を紡がなければならない
ハボックを見送り、改めて彼の解読に目を通す。
最初に見たものの他にも、
分野が違う様々なものに至ってまでその見識の高さを示している。
自分が推薦した少年を、確かに類まれな才能の持ち主と評価していた。
しかし、それは錬金術の一片を見ただけのこと。
その道の才能を認めはしていたが、
特出した方向というものを彼から特定するのは難しいようだ。
古代史から数式のように確かな知識を有するもの。
言葉遊びのようにひらめきと感を有するもの。
それらのどちらにおいても遜色ないだけの結果を見せている。
再度入室の許可が求められ、入ってきたのは
声の主とは違う小柄な少年。
今まで彼が著したというその難解な文章とは違い、
まさに逆の様相を見せる少年。
しかし、その瞳だけが、決して弱いと思わせるものではなく、
睨みつけるように光ってはいたけれど。
「見せてもらったよ。正直に言ってあそこまで完璧な解読をしてみせるとは
思っていなかった。
下の者に選別させた物も大方集まったようだし、共同して解読をしたいと思うが
どうかね」
「・・・1人の方が集中出来るんだけど」
等価交換だと持ちかけたからなのか、
随分おとなしい様子をしている。
もっと激しく拒否されるかと思っていた。
彼を十分過ぎるほど有能であると試すことができた。
これは、逆に自分が試されているのだろうか。
「エドワード。1人の知識よりは同等・或いはそれ以上の者が共にいた方が
その能率は上がるというものだよ。」
それでも、納得いかないという眼は変化せず、
微動だにしない彼の変わりに、案内してきたハボックの方が動揺しているように見える。
「・・・これを見なさい。」
取り出したのは、彼の書いた解読書の中の一部。
「この導き出し方、その判断、どちらも正しいと思う。
だが、この参考書としてヨークシャテルの論文を引用した部分は訂正すべきだ」
今まで変化を見せなかった彼が僅かに顔を上げる。
肩に乗っていた金色の髪が同時にスルリと背中に落ちたが、
そんなことに意識は向かず、何がおかしかったのかと目線だけで問うている。
「この論文が書かれたのは130年以上前。
しかし、それはヨークシャテル本人が書いたものではない。
彼はこの論文を息子に託したが、
息子はその重要性を知らず本来の意味とは違う暗号で発表した。
別の分野で本人著書がたまたま発見され、昨年軍が押収した。」
「そんなことは知ってるよ!だから、それを見るときは発行年を」
「そう、発行年に気をつけなければならないが、
偶然にも軍が押収したその発行年もそれらと同時期のもの。
ここはどこだね。エドワード。
君が利用したのは軍の書庫。
予告状を書いた者が軍内部の人間であるならば話は別だが、
このヨークシャテルの論文を犯人が引用して暗号をつくったならば、
息子の発表したニセモノが使われていると考えるのが妥当だろう。
どうだい。共同で解読するメリットはあるだろう?」
わざとらしく笑顔を作れば、
エドワードはその鋭利な瞳をゆっくりと閉じた。
はぁ、とため息を吐くと妙にスッキリとした顔を見せる。
何故かドキリと感情が揺れる。
どうせまた睨み返されるものと思っていたのであるが。
「ここの書庫に息子のものは無いんだろ。この辺りである場所は?」
「あぁ。書庫ではなく、資料室の閲覧ブースにあるはずだが。」
「じゃあ、取ってくる。」
困惑している様子のハボックの横をすり抜けて、
赤いコートを翻す。
(野良猫が初めてエサを食べてくれた気分だ)
きっと爪を出して、毛を逆立てて威嚇されると思っていたのに。
彼は自分の非を認め、その改善を自ら申し出た。
あれほど虚勢を張っていたのに、
それを見つめることは難しく、認めることはさらに難解だろう。
潔癖であるが故の少年の気質以外の面を見た気がする。
「何か間違ってたって言うんですか」
エドワードを見送ったハボックがやっと言葉を発した。
「間違っていたというレベルの討議ではないがな。
お前、ヨークシャテルの論文なんて読んだことあるか?」
エドワードの記したその問題となる解読書を示しながら聞いてみれば、
咥えタバコを揺らしながら、「まったく知りません」と
むしろ得意げに返してきた。
そんな部下の言葉に、エドワードが溢したため息とは
まったく意味を違えるため息を溢したくなる。
「ヨークシャテルは、生体医学の権威で、
書く文章もその展開もよほどの知識がなければ読む事もままならない論文だ。
だからこそ、その間違いなど長年に渡り指摘されていなかった。」
そう告げても、本質を理解出来ていないのか、
ハボックは「はぁ」と気のない返事を返すのみで、
「それを暗号文の特定として見つけて、それを解読して見せたのだよ、彼は。
一朝一夕で出来るような芸当ではない。
・・・私も彼がこれを示さなければ、この論文にはたどり着けていなかっただろう。
だから、間違っていたというレベルではないのだよ」
何度目かの苦笑をハボックに向ければ、
上司である自分がたどり着けていなかったものを
エドワードが提言してみせたということは理解したのか、
眼を文字通り丸くしたその顔を見ることができた。
その後、唖然としていたハボックは
「早く運ぶの手伝えよ!」と次々に会議室から執務室へと
書籍を運んできたブレダに怒鳴られるに至るまでその場を動けないでいた。